宮前八雲社。さいたま市西区宮前町の神社

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宮前八雲社。愛知県津島の牛頭天王を勧請

宮前八雲社の概要

宮前八雲社は、さいたま市西区宮前町にある神社です。宮前八雲社の創建年代等は不詳ながら、愛知県津島の牛頭天王を勧請、元禄年間に上内野村から分村した内野村の鎮守社だったといいます。

宮前八雲社
宮前八雲社の概要
社号 八雲社
祭神 建速須佐之男命
相殿 -
境内社 稲荷社
住所 さいたま市西区宮前町449
祭日 -
備考 -



宮前八雲社の由緒

宮前八雲社の創建年代等は不詳ながら、愛知県津島の牛頭天王を勧請、元禄年間に上内野村から分村した内野村の鎮守社だったといいます。

新編武蔵風土記稿による宮前八雲社の由緒

(内野村)
牛頭天王社
村の鎮守なり、村民持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による宮前八雲社の由緒

八雲社<大宮市宮前町四四九(西内野字八ツ并)>
内野村は正保-元禄年間(一六四四-一七〇四)に上内野村から分村して成立した。
『風土記稿』は、内野村の神社について「牛頭天王社 村の鎮守なり、村民持、下同じ 神明社」と載せる。これに見える牛頭天王社が当社のことで、口碑によれば「当社は愛知県津島の天王様の分霊を祀ったのに始まり、元は神明社が村の鎮守であったが、次第に天王様のほうが盛ってきたために鎮守が交替した」という。また、明治三年の『大宮組合神社詳細取調帳』内野村の項には、「百姓亀吉持」として「八雲社」と「神明社」が見え、『風土記稿』の村民持が百姓亀吉持を指すことがわかる。亀吉とは「台の家」の屋号を持つ山岸清家の先祖で、当社の北西二〇〇メートルの所に屋敷を構える。
当社は明治初年に八雲社と改称し、社格制定に際しては神明社と共に無格社とされた。内野村は明治十二年に西内野村と改め、更に同二十二年には日進村の大字となった。このため、同四十年の神社統合では、同村大字上加の村社氷川社(現日進神社)に当社の神明社(遥拝所として現存)は合祀されたが、幸いにも当社は合祀を免れた。
社殿の造営は、文政五年(一八二二)に社殿を再建、明治十八年に覆屋を建立し、昭和六年に拝殿を再建した。平成五年には覆屋・幣殿・拝殿を改修し、併せて末社脇神社を改築して、その外観を一新した。(「埼玉の神社」より)


宮前八雲社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)