二ツ宮氷川神社。さいたま市西区二ツ宮の神社

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二ツ宮氷川神社。氷川神社と八幡神社が二つ奉斎

二ツ宮氷川神社の概要

二ツ宮氷川神社は、さいたま市西区二ツ宮にある神社です。二ツ宮氷川神社の創建年代等は不詳ながら、氷川神社と八幡神社が古くより二つ並んでいたことから、二つ宮村と称するようになったといい、慶安2-3年(1649-1650)の『田園簿』には、村名が残されているといいます。江戸期には村の鎮守として祀られ、明治6年村社に列格しました。

二ツ宮氷川神社
二ツ宮氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 須佐之男命
相殿 -
境内社 八幡社、御嶽・三峰、天神、稲荷、八雲、天満、阿夫利、笠間稲荷
住所 さいたま市西区二ツ宮586
祭日 -
備考 -



二ツ宮氷川神社の由緒

二ツ宮氷川神社の創建年代等は不詳ながら、氷川神社と八幡神社が古くより二つ並んでいたことから、二つ宮村と称するようになったといい、慶安2-3年(1649-1650)の『田園簿』には、村名が残されているといいます。江戸期には村の鎮守として祀られ、明治6年村社に列格しました。

新編武蔵風土記稿による二ツ宮氷川神社の由緒

(二つ宮村)
氷川社
神體は径り二尺許の鐘を置、村の鎮守なり、同社及び下に載る八幡の社は、昔より二つ並であるをもて村の名に呼べりといへど、舊記等もあらざれば考ふるに由なし。
御手洗池。廣さ五畝程、いかなる久旱にも、水涸ることなしと云ふ。
八幡社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による二ツ宮氷川神社の由緒

氷川神社<大宮市二ツ宮五八六(二ツ宮字後谷)>
二ツ宮の地名は『風土記稿』に「昔より氷川・八幡の二社並びたる地なれば村名とすといへり」とある。村の北東部には、古荒川によってつくられた自然堤防があり、ここに当社を含む古くからの集落が形成されている。慶安二-三年(一六四九-五〇)の『田園簿』にその村名が見えることから、既に江戸初期には開発されていたことがわかる。村名の由来が語る通り、現在当社は八幡神社と並んで祀られているが、口碑に「元は八幡様のほうが今よりもやや北西(現在の馬宮中学校の西側辺り)に祀られていて、いつの頃か現在地に移された」とある。いずれにしても氷川・八幡の両社が並んでいたことに変わりはなく、江戸初期には既にこの二社が祀られていたものであろう。
当社は『風土記稿』に「氷川社 神体は径り二尺許の鏡を置、村の鎮守なり(中略)御手洗池 広さ五畝程、いかなる久旱にも、水枯るることなしと云ふ」と記されている。これに見える御手洗池は今の当社東側の児童公園とゲートボール場の辺りにあった池で「氷川様の池」と呼び親しまれ、この辺りの耕地を潤す貴重な水源とされていた。
別当については『風土記稿』に「宝蔵寺の持」とあるものの、貞享二年(一六八五)と天明七年(一七八七)の本殿造立を伝える社蔵の棟札には「別当一乗院見佳本明」と見える。
当社は神仏分離を経て、明治六年に村社となった。(「埼玉の神社」より)

境内掲示による二ツ宮氷川神社の由緒

二ッ宮氷川神社と八幡神社
二ッ宮村の村名の由来は、氷川神社と八幡神社の二社が並び鎮座しているところから名付けられたといいます。
氷川神社の御祭神は須佐之男命で、四月十四日の春祭りにはお神楽を奉納、七月十四日の夏祭りには神輿の御渡や山車の曵き廻しが行われ、村一番の賑わいを見せます。
八幡神社の御祭神は応仁天皇、脇祭神として神宮皇后を祀っています。九月十五日は例祭で奉納相撲があります。現在は子供相撲大会、月見踊り等が行われますが、明治の終わり頃には島渡川という力士がでて、イギリスからの招待を受け遠征したほどですので、盛大な祭りであったようです。
境内には三峰神社、御嶽神社、天神社、第六天社、牛頭天王社、阿夫利神社、笠間稲荷社が合祀されています。また神社の東側には児童公園とゲートボール場が整備され、四季を通じて利用されています。(大宮南西ロータリークラブ掲示より)


二ツ宮氷川神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)