秋葉神社。さいたま市西区中釘の神社

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秋葉神社。さいたま市西区中釘の神社

秋葉神社の概要

秋葉神社は、さいたま市西区中釘にある神社です。秋葉神社は、天平年間に飽波神社と云われて元駿州に鎮座、遠州に移されその後当所に遷座したと伝えられるといい、また永昌寺の寺伝では小田原最乗寺の開山了庵禅師が、天授4年(1378)当地に阿弥陀堂とともに・秋葉三尺坊大権現を勧請して祀ったともいいます。江戸期には旗本山内家の崇敬を受け、また紀伊徳川家の祈願所ともなったともいい、明治40年から明治41年にかけて、字塚越の村社氷川社など21社を合祀、村社に列格したといいます。

秋葉神社
秋葉神社の概要
社号 秋葉神社
祭神 火之迦具土大神
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市西区中釘818
祭日 -
備考 -



秋葉神社の由緒

秋葉神社は、天平年間に飽波神社と云われて元駿州に鎮座、遠州に移されその後当所に遷座したと伝えられるといい、また永昌寺の寺伝では小田原最乗寺の開山了庵禅師が、天授4年(1378)当地に阿弥陀堂とともに・秋葉三尺坊大権現を勧請して祀ったともいいます。江戸期には旗本山内家の崇敬を受け、また紀伊徳川家の祈願所ともなったともいい、明治40年から明治41年にかけて、字塚越の村社氷川社など21社を合祀、村社に列格したといいます。

新編武蔵風土記稿による秋葉神社の由緒

(中釘村)
秋葉社
拝殿幣殿頗る美を盡し、本社は一段高き所にて石階を設けたり、當社は元駿州にありて飽波神社と云しを、いつの頃にや遠州に移し、其後又當所に移せしと云、されど其年代は詳ならず、慶安の頃より靈験の聞えありて、毎月十八日には参詣ことに多く、信仰の輩あつまりて、修理の資費を寄進し、かく荘厳をなせしと云、
阿彌陀堂。當所の除地は元此本尊の免地なり、然るに秋葉社諸人の信仰ありて、社宇も廣ごりたれば、今は自ら秋葉の境内にある堂の如し、由て姑く秋葉を主として出せり、村内永昌寺持。
氷川社
村の鎮守なり、南蔵院の持。
末社。稲荷社、荒脛社。
子聖社
妙玖寺の持。
愛宕社
淺間社
天神社
以上三社、村民の持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による秋葉神社の由緒

秋葉神社<大宮市中釘八一八(中釘字請地前)>
「歩みきてこのやお宮をながむれば棟は八つ棟檜はだぶきなり」
秋葉ささら獅子舞の舞歌にこう歌われた当社本殿は、寛文元年(一六六一)に建立されたものである。その特徴は重厚な趣が感じられる 八棟三手先手造りの屋根と豪壮優美な彫刻が施された壁面で、社号標に「火産霊神関東総本社秋葉神社」と刻まれるにふさわしい造りである。
創建については諸説がある。社伝によると天平期(七二九-四九)の古きこととされている。また『風土記稿』によれば、その時代は明らかにしていないが、元は駿州にあって飽波神社と称していたが、いつのころか遠州に移され、後に当地へ移された。鎮座地は元々、別当永昌寺持の阿弥陀堂が所有する境内地であったという。ちなみに駿州の飽波神社とは、現在、静岡県藤枝市に鎮座する延喜式内社飽波神社のことと思われる。ただし、飽波神社がなぜ秋葉神社と称するようになったのかは明らかではない。
一方、永昌寺の寺伝では、天授四年(一三七八)相州小田原最乗寺の開山了庵禅師が諸国行化の途次、当地に阿弥陀堂を建立し、その際に遠州秋葉山秋葉寺から秋葉三尺坊大権現を同地内に勧請したとされる。いずれにしても当社は、中世以前に、阿弥陀堂の境内に勧請されたことは間違いないであろう。
江戸期に入り、元和九年(一六二三)に旗本山内氏が指扇領三千石を知行するため、その陣屋を当村に置くと、当社は山内家の守護神として、以後三代にわたって崇敬を受けた。特に初代当主山内豊前守一唯の崇敬は厚く、自ら大檀那となり、寛文元年に社殿を改築した。このようにして、阿弥陀堂は当社の境内社のような様相となった。
当地を含む指扇領が元禄二年(一六八九)に幕府領となると、元文四年(一七三九)に紀伊和歌山藩主徳川宗真が鷹狩りに向かう途次、当社を参拝し、以後、紀州徳川家の祈願所とした。その後、紀州徳川家からは戸張や高張などが随時奉納され、当社からは年頭に神札を献上するのが習わしとなり、それは明治半ばまで続けられた。神札の献上の習わしが絶えた後、紀州徳川家の後裔である侯爵徳川頼倫は、長年の神恩に感謝して、親筆の社号額を当社に奉納した。
神仏分離後、阿弥陀堂は永昌寺に移され、三尺坊も永昌寺の境内に新たに建立された。当社は、明治四十年十月から同四十一年一月にかけて、字塚越の村社氷川社をはじめ二一社を合祀し、村社に列した。
祀職の宮本家は、鎌倉期から続くとされる南蔵院と称する本山派修験で、鎮守であった塚越の氷川社の別当であったが、明治初年に復飾し当社の神職となった。現在の宮司は宮本栄、禰宜は宮本和彦が務めている。(「埼玉の神社」より)

境内掲示による秋葉神社の由緒

当秋葉神社は、社伝によれば元駿州に飽波神社と云われて鎮座し後に遠州に移されその後当所に遷座されたと伝えられ、四十五代聖武天皇の天平年中に創建されて居ります。その後徳川の世には山ノ内一唯公に守護神として篤く崇敬され社殿が改築されました。
また、紀州徳川家御祈願所となる等、火災・盗難防護、延命長寿、家内安全の霊神として関東一円より多くの方々に崇敬尊信され、春秋の例大祭には各地より多くの崇敬の方々が参拝に来られます。(境内掲示より)


秋葉神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)