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膝子八幡神社。さいたま市見沼区膝子の神社

膝子八幡神社の概要

膝子八幡神社は、さいたま市見沼区膝子にある神社です。膝子八幡神社は、満蔵寺を永正6年(1509)に開山した法印が、満蔵寺を共に当社を創建したといいます。明治6年に村社に列格、明治41年には大字膝子字上芝宮無格社春日社、同境内社三峰社、稲荷社、字芝宮無格社天神社を合祀したといいます。

膝子八幡神社
膝子八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 応神天皇
相殿 -
境内社 春日社、白山社
住所 さいたま市見沼区膝子623
祭日 -
備考 -



膝子八幡神社の由緒

膝子八幡神社は、満蔵寺を永正6年(1509)に開山した法印が、満蔵寺を共に当社を創建したといいます。明治6年に村社に列格、明治41年には大字膝子字上芝宮無格社春日社、同境内社三峰社、稲荷社、字芝宮無格社天神社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による膝子八幡神社の由緒

(膝子村)
八幡社
村の鎮守なり、
末社。稲荷社二宇、疱瘡神社。
神明社
満蔵寺
天神社
西蔵寺持
芝明神社
祭神は春日明神にて、字芝宮にあるを以て斯稱せり、西蔵寺持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による膝子八幡神社の由緒

八幡神社<大宮市膝子六二三(膝子字中道)>
当地の東は、線瀬川の後背地湿地が大きく開け、西は見沼の低地が展開している。地名膝子は、水を汲む瓢子に由来すると伝える。当地は、『風土記稿』に「膝子塚」なるものが記され、この塚は瓢子型から前方後円墳であったとする説がある。
当社は村の東方に鎮座し、境内から多くの土器片が出土しており往古より居住の適地であった(八幡神社遺跡)。また、境内東側の見沼の低地からは縄文期の丸木舟が出土している。
創建は、後柏原天皇の御代、永正六年(一五〇九)九月十二日、別当八幡山明王院満蔵寺の開山法印の時とある(満蔵寺文書)。
祭神は応神天皇で本殿内には騎乗の八幡神像を奉安すると伝える。
造営については、宝暦七年(一七五七)五月二十日に社殿再建正遷を行ったと伝える。また、明治十二年四月二十三日に社殿上棟祭 を、大正二年十月八日拝殿上棟祭を行っている(社蔵棟札)。
『明細帳』によると、明治六年四月に村社に列せられた。明治四十一年八月二十日、大字膝子字上芝宮無格社春日社、同境内社三峰社、稲荷社、字芝宮無格社天神社を合祀した。このうち春日社は『風土記稿』に「芝宮明神社」とあり、社蔵棟札には同社が明和三年(一七六六)正月造営された旨の墨書がある。
現在、宮司は武蔵一宮氷川神社の鎌田裕輝が務めている。(「埼玉の神社」より)

埼玉県・大宮市掲示による膝子八幡神社の由緒

当社の創建年代は不明であるが、境内に樹齢推定約三百年の神木の大欅があることから、かなりの古社であることがわかる。祭神には応神天皇を祀っており、大祭は十月十二日である。戦後一時中断した六月の虫送り行事も昭和五十八年に復活した。
参道には江戸後期の鳥居や道しるべのある庚申塔が残っている。
八幡信仰は早くから仏教と結びつき、奈良時代には東大寺のちんじゅとして 手向山八幡宮が造られ、平安時代には朝廷から大菩薩号が贈られるなど、伊勢信仰につぎ全国的に信仰圏を拡めていった。特に源氏の氏神として仰がれ、源義家は八幡太郎を名のり、源頼朝が鶴ヶ岡八幡宮を造営したことから八幡社は武士社会の守護神として全国に勧請されていった。江戸後期の「新編武蔵風土記稿」によると、大宮市内で二〇社が数えられ、当社もその一つである。(埼玉県・大宮市掲示より)


膝子八幡神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)