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新井天満神社。さいたま市見沼区東新井の神社

新井天満神社の概要

新井天満神社は、さいたま市見沼区東新井にある神社です。新井天満神社の創建年代等は不詳ながら、当地周辺は中世から開発されていたころから、当社も中世より祀られていたのではないかともいいます。江戸期には新井村の鎮守として祀られ、明治6年村社に列格、明治40年には片柳村大字山字北原の無格社稲荷社を合祀したといいます。

新井天満神社
新井天満神社の概要
社号 天満神社
祭神 天照皇大神
相殿 -
境内社 大六天、稲荷神社
住所 さいたま市見沼区東新井20
祭日 -
備考 -



新井天満神社の由緒

新井天満神社の創建年代等は不詳ながら、当地周辺は中世から開発されていたころから、当社も中世より祀られていたのではないかともいいます。江戸期には新井村の鎮守として祀られ、明治6年村社に列格、明治40年には片柳村大字山字北原の無格社稲荷社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による新井天満神社の由緒

(新井村)天神社
村の鎮守なり、西勝院持
末社。稲荷社、第六天社。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による新井天満神社の由緒

天満神社<大宮市東新井二〇(東新井字天神越)>
東新井は大宮台地の大和田片柳支台上に位置している。地内の西勝院跡(片柳小学校)から出土した板石塔婆には応永九年(一四〇二)の銘があり、当地の開発が中世までさかのぼることをうかがわせる。
地内には近世に浦和宿と岩槻を結ぶ主要道であった岩槻道(県道浦和岩槻線)が南北に走り、大宮宿に至る古道(県道新方須賀与野線)が東西に走る。当社はこの二本の道が交わる辻から南西に約五〇メートル離れた所に鎮座している。創建については不詳であるが、『風土記稿』に「天神社 村の鎮守なり、西勝院持」とある。別当の西勝院は中野村(大宮市南中野)の真言宗正法院門徒で利剣山と号し、旧境内に「享保七壬寅歳(一七二二)四月初三日」銘の法印墓石がある。
神仏分離後、西勝院は廃寺となり、跡地の一部が不動堂となった。当社は明治六年四月に村社に列し、明治四十年八月十五日には片柳村大字山字北原の無格社稲荷社を合祀した。当社の社殿は、草葺きの本殿があるのみであったが、老朽化したため、大平洋戦争後、大宮西小学校にあった奉安殿を譲り受け、これを新しい本殿とすることにした。この時、氏子の間から鎮守の社にふさわしく覆屋と拝殿も備えたいという声が上がり、費用を氏子全員が負担して瓦葺きの覆屋と拝殿を新築した。
本殿内に「寛政九巳(一七九七)」銘の天満天神像を安置する。(「埼玉の神社」より)


新井天満神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)