鹿手袋第六天社。さいたま市南区鹿手袋の神社

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鹿手袋第六天社。さいたま市南区鹿手袋の神社

鹿手袋第六天社の概要

鹿手袋第六天社は、さいたま市南区鹿手袋にある神社です。鹿手袋第六天社の創建年代等は不詳ながら、日月社八幡社と同様に寶泉寺が関与していたのではないかといいます。昭和34年以降の耕地整理により、当地へ遷座したといいます。

鹿手袋第六天社
鹿手袋第六天社の概要
社号 第六天社
祭神 面足尊、惶根尊
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市南区鹿手袋6-4-11
祭日 -
備考



鹿手袋第六天社の由緒

鹿手袋第六天社の創建年代等は不詳ながら、日月社八幡社と同様に寶泉寺が関与していたのではないかといいます。昭和34年以降の耕地整理により、当地へ遷座したといいます。

新編武蔵風土記稿による鹿手袋第六天社の由緒

(鹿手袋村)第六天社
寳泉寺の持(新編武蔵風土記稿より)

埼玉の神社による鹿手袋第六天社の由緒

第六天社<浦和市鹿手袋六-四-一一(鹿手袋字中通り)>
『風土記稿』は、鹿手袋の神社について「日月宮 村の鎮守なり、神体は方版に画き、裏に元禄四年(一六九一)の銘あり、八幡社 第六天社 以上共に宝泉寺の持」と載せている。また、別当の宝泉寺は「新義真言宗、輿野町圓乗院末、鶴寿山安楽院と号す、本尊薬師を置り開山良宜天文十四年(一五四五)十一月六日示寂せり」とある。
日月宮八幡社・第六天社の三社は、いずれも宝泉寺を中心として三〇〇メートル以内に鎮座している。鎮守の日月宮の板絵には、宝泉寺の本尊薬師如来の脇士に当たる日光菩薩・月光菩薩が描かれてあるほか、八幡社は元は宝泉寺の境内にあったが、後に永堀文司家の鬼門に移したと伝えられており、いずれも宝泉寺との深いつながりをうかがわせる。当社すなわち第六天社については、元は今よりも西に五〇メートルほど宝泉寺寄りの竹藪の中に祀られていたことや、本殿に奉安する石祠に「(梵字)第六天宮諸人快楽人法繁盛」の碑銘があることを考え合わせるに、ほかの二社と同様にその創建に宝泉寺の関与があったと推測される。
昭和三十四年以降に行われた耕地整理に伴い、当社は現在地に移転し、昭和五十六年その傍らに鹿手袋会館が建設された。本殿は四〇センチメートル四方の小祠で、鹿手袋会館と神輿庫に挟まれた一角の一番奥に位置しているため、ひっそりと静かなたたずまいを見せている。
祭神は、日本神話の天神第六代目の面足尊と惶根尊である。(「埼玉の神社」より)


鹿手袋第六天社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)