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日進神社。さいたま市北区日進町の神社

日進神社の概要

日進神社は、さいたま市北区日進町にある神社です。日進神社の創建年代等は不詳ながら、中世に武蔵一宮氷川神社を勧請、加村の鎮守だったといいます。明治6年に村社に列格、明治40年、日進村に鎮座する46社を合祀、社号を永川社から日進神社に改めたといいます。

日進神社
日進神社の概要
社号 日進神社
祭神 素盞嗚尊
相殿 -
境内社 門客人社、稲荷社
住所 さいたま市北区日進町2-1194
祭日 -
備考 旧村社



日進神社の由緒

日進神社の創建年代等は不詳ながら、中世に武蔵一宮氷川神社を勧請、加村の鎮守だったといいます。明治6年に村社に列格、明治40年、日進村に鎮座する46社を合祀、社号を永川社から日進神社に改めたといいます。

新編武蔵風土記稿による日進神社の由緒

(上加村)
氷川社
村の鎮守なり、満宮寺の持。
末社。荒脛社、稲荷社。
満宮寺
是も本寺前に同じ、本尊は観音なり。 (新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による日進神社の由緒

日進神社<大宮市日進町二-一一九四(上加字宮腰)>
当地は鴨川左岸の大宮台地に位置し、東に切敷川の低地が、西に鴨川の低地がある。中世ここは「加村」と呼ばれ、江戸初期これが分村し、「上加村」「下加村」となった。
鎮座地は、上加村南方に当たるばかりでなく、分村前の加村中央に位置している。境内は、明治期編纂の『郡村誌』によると、「宮の腰林」と呼ばれ、杉・松・樅などの雑木に覆われていた。また、境内南西側は大宮台地の崖となっており、ここからは「出居」と呼ばれる清冽な湧水がある。この水は、近年まで天水場である当地の貴重な水源で、上下加村五町歩の水田を潤して鴨川に注いでいた。
創建は、中世、武蔵一宮氷川神社の大神を勧請したことによる。当初の祭祀は、境内の湧水を祀り、五穀豊穣を祈るものであったのであろう。
別当は、『風土記稿』によると、真言宗満宮寺で、当社境内南東側にあった。同寺は、明治初年に廃寺となった。
本殿は一間社流造りである。本殿基壇石には、明治十二年九月、石垣寄附連盟として押田幸左衛門ほか三四名の名が刻まれている。
『明細帳』によると、明治六年に村社に列せられ、同四十年、日進村に鎮座する四六社を合祀し、社号を永川社から村名を冠した日進神社に改めた。(「埼玉の神社」より)


日進神社所蔵の文化財

  • 日進餅つき踊り(さいたま市指定無形民俗文化財)

日進餅つき踊り

餅つき踊りは、「接待餅」とも呼ばれ、かつては村内での祝い事に随時躍られたものです。そのはじまりは、江戸時代に中山道の伝馬夫役に出た若者達が旅の慰安と接待を兼ねて、通行する大名や武士たちの宿で、餅をついたことがだんだん芸能化していったものだといわれています。
現在は、毎年一月一日午前0時すぎから日進神社の境内で、この餅つき踊りが披露されます。
ふかした餅米を頭上にかかげた者を先頭にして、大ぎね・小ぎねをもった一行が木遣歌を歌いながら入場し、餅米を臼にあけると、総勢で音頭に合わせて餅米を練りあげます。その後、こね取り一人と中ぎね四人が呼吸を合わせ、交代しながら餅を搗いていきます。日進の餅つき踊りには、このように実際に餅を搗く「しんしょう搗き」と空臼を搗く「曲搗き」があり、曲搗きには、豊穣、瑞祥、大勝利(感謝)の三調子があります。
搗きあがった餅は参拝者にふるまわれ、この餅を食べると今年一年を健康に過ごせるといわれています。(さいたま市教育委員会掲示より)

日進神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)