大戸氷川神社。さいたま市中央区大戸の神社

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大戸氷川神社。宮城美作守正重が天正年間に造立した刻銘

大戸氷川神社の概要

大戸氷川神社は、さいたま市中央区大戸にある神社です。大戸氷川神社の創建年代等は不詳ながら、大戸にあった圓能寺が管理していた地蔵堂の台座に岩付城(現岩槻市)城主太田氏房の家臣宮城美作守正重が天正年間(1573-1592)に造立したと刻銘されていたことから、当社も戦国時代末期には祀られていたのではないかといいます。

大戸氷川神社
大戸氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚尊
相殿 -
境内社 八雲神社
住所 さいたま市中央区大戸3-14
祭日 -
備考 -



大戸氷川神社の由緒

大戸氷川神社の創建年代等は不詳ながら、大戸にあった圓能寺が管理していた地蔵堂の台座に岩付城(現岩槻市)城主太田氏房の家臣宮城美作守正重が天正年間(1573-1592)に造立したと刻銘されていたことから、当社も戦国時代末期には祀られていたのではないかといいます。

新編武蔵風土記稿による大戸氷川神社の由緒

(大戸村)氷川社
村の鎮守なり
末社。八幡社二宇、天王社。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による大戸氷川神社の由緒

氷川神社(与野市大戸)
大戸は、古くは与野郷に属し、与野市下落合から浦和市鹿手袋に広がっていた鴻沼を望む平坦地にある。地名の大戸はこの鴻沼への入口に由来するという。
当社は、大戸のほぼ中央に鎮座しており、鴻沼を望むその立地条件は、見沼を望む高台に建つ一宮氷川神社の姿を彷彿とさせるものがある。その創建は明らかでないが、すぐそばに真言宗円能寺(明治四年に廃寺)があったと伝えられることから、神仏分離以前はこの寺が当社の祭祀を司っていたものであろう。同寺持ちであった地蔵堂の本尊地蔵菩薩像の台座には、天正年間(一五七三-九二)に岩付城(現岩槻市)城主太田氏房の家臣宮城美作守正重が造立したと記されており、この辺りが太田氏房によって支配されていたことがわかる。大戸村の鎮守であった当社も既にこのころには創建されていたことが推測される。
明治六年に村社となり、大正八年には本殿の改築、更に翌九年には拝殿の屋根瓦の葺替えが行われた。そのころの社殿は数十本の鬱蒼とした大杉や老松に囲まれ、壮厳な雰囲気を持っていたが、昭和三十年に拝殿と社務所の改築のために大木三〇本を伐採したために、境内の様子は一変して明るくなった。更に、平成三年一月四日の火災により拝殿全焼、本殿半焼という大被害を被り、同五年に再興が成った。(「埼玉の神社」より)


大戸氷川神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)