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野火止神明神社。新座市野火止の神社、旧村社

野火止神明神社の概要

野火止神明神社は、新座市野火止にある神明神社です。野火止神明神社の創建年代は不詳ですが、野火止宿上分の鎮守として野火止宿が開発された頃に創建したといいます。明治四十年北野八軒の稲荷神社を合祀、戦前には村社に列格していました。

野火止神明神社
野火止神明神社の概要
社号 神明神社
祭神 天照大神
相殿 倉稲魂命
境内社 稲荷神社
祭日 例祭4月28日
住所 新座市野火止5-11-1
備考 -



野火止神明神社の由緒

野火止神明神社の創建年代は不詳ですが、野火止宿上分の鎮守として野火止宿が開発された頃に創建したといいます。明治四十年北野八軒の稲荷神社を合祀、戦前には村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による野火止神明神社の由緒

(野火止宿)神明社
上分にあり、本社間口三間奥行二間反、又側に九尺に間の祠あり、是も神明を祀る。(新編武蔵風土記稿より)

新座市教育委員会等掲示による野火止神明神社の由緒

江戸時代に幕府が編纂した地誌書「新編武蔵風土記稿」には、
氷川社(現野火止氷川神社) 下分のはしにあり、祠は二間四方許。(中略)
神明社 上分にあり。本社間口三間奥行二間反、又側に九尺に間の祠あり、是も神明を祀る。
稲荷社三 村内にあり。
と記され、神明神社は、野火止上下の境界に位置しています。
祭神は、天照大神と倉稲魂命が、まつられています。
明治四十年北野八軒の稲荷神社を合祀して、境内社として稲荷神社を祀っています。
境内には、石工銘の刻まれた鳥居や、常夜燈、力石、御百度石、庚申塔、秋葉権現石祠、金毘羅宮石祠等、多くの石造物が置かれ、信仰の様子が、しのばれます。
昭和の始めには、野火止用水が、境内の横を流れ、水車をまわし、又、旱魃の際には、雨乞いの行事が行われました。(新座市教育委員会・新座市文化財保護審議委員会掲示より)

「埼玉の神社」による野火止神明神社の由緒

当地は、江戸初期、川越藩主松平信綱によって開かれた野火止新田の内である。最初五四軒を入植させて開墾させたが、飲料水も満足に得られない土地で、大変困難な事業であったという。
創健については、地内の旧家である島村家の口碑に次のように伝えられている。ノかつて比企郡神戸村(現東松山市神戸)で名主を務めていた島村家の先祖が、大飢饉で年貢に困る村民を見兼ね、代官へ石数を偽って上納したため打ち首に処せられた。島村家には女三人男一人がいたが、男子小源太は危うく難を逃れ、氏神である神明様の御神体を背負い当地へ逃げ延びた。その後小源太は野火止用水の開削に貢献して新田の農耕を安定させると、神社を奉建して御神体を納めたという。
『風土記稿』野火止宿村の項には「神明社 上分にあり、本社間口三間奥行二間半、又側に九尺二間の嗣あり、是も神明を祀る」と載せられている。この本社側にあった祠については、あるいは島村家が当地へ土着した当初、同家の氏神として祀った社ではなかろうか。ちなみに、いつのころかこの祠はなくなり、現在の境内にはその跡を見ることもできない。
明治四十年七月、当社は大字北野の村社稲荷神社、同境内社神明神社を合祀した。境内にある末社稲荷神社には、合祀を記念して、氏子により奉献された石製の絵馬が今も残されている。(埼玉県神社より)


野火止神明神社の周辺図


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