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長福寺。吉川市道庭にある天台宗寺院

長福寺の概要

天台宗寺院の長福寺は、長龍山實祭院と号します。長福寺の創建年代は不詳ですが、もと真言宗寺院だったものを、僧堯範が宝暦元年(1751)天台宗に改めたといいます。上野寛永寺の隠居寺だったといい、菊の紋章が刻された鬼瓦や、千体庚申塚が残されているといいます。

長福寺
長福寺の概要
山号 長龍山
院号 實祭院
寺号 長福寺
本尊 不動明王像
住所 吉川市道庭1-13-3
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



長福寺の縁起

長福寺の創建年代は不詳ですが、もと真言宗寺院だったものを、僧堯範が宝暦元年(1751)天台宗に改めたといいます。上野寛永寺の隠居寺だったといい、菊の紋章が刻された鬼瓦や、千体庚申塚が残されているといいます。

新編武蔵風土記稿による長福寺の縁起

(道庭村)長福寺
天台宗、東叡山末長龍山實祭院と號す、相傳ふ古は紀伊國根来派の密寺なりしが、宝暦元年堯範と云僧今の末に改む、同十二年五月十五日寂せり、依て此僧を中興とす、本尊元三大師の画像及び智證大師の作れる不動の像を置(新編武蔵風土記稿より)

新編武蔵風土記稿による長福寺の縁起

長福寺は、古くは上野寛永寺の隠居寺といわれている。当寺は大きな寺であったと伝えられ、今でも屋根の鬼瓦には十六の花びらの菊の紋章が刻されたものが残っている。
境内には千体庚申塚があり、江戸時代中期から昭和四十年代に建立されたものを含めて四百三基の庚申塔(戦前には約二倍の庚申塔があったと伝えられている。)があり、この地方の信仰の強さを物語っている。
庚申(かのえさる)とは、道教思想からなる十干十二支の組み合わせで、六十日に一回もしくは六十年に一回やってくるもので、この日は人間の腹の中に住んでいる三尸虫が、寝ている時に天帝に現世を報告し、罪に応じて寿命を短かくするものとされ、人々は徹夜をしたり、庚申塔を建て祈願をしたものである。
また吉川町の最南端にあたるこの地は、道庭と呼ばれているが、古くはドバと呼んだのを後世に道庭の文字をあてたものといわれる。ドバの意味には平らな地形という意があり、おそらくは古利根川沿いの砂地で流域の変化によってできた自然堤防状の平地をなしていただろうことが推測される。(埼玉県・吉川市掲示より)


長福寺の周辺図


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