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采女女体神社。三郷市采女の神社

采女女体神社の概要

采女女体神社は、三郷市采女にある神社です。采女女体神社は、彦糸村の森采女が当地(采女新田)を開拓・元禄8年(1695)の分村の際に、彦糸女体神社を勧請したといいます。昭和43年のJR武蔵野線操車場建設の際に当地へ移転したといいます。

采女女体神社
采女女体神社の概要
社号 女体神社
祭神 比売命、奇稲田姫命、伊弉冉命
相殿 -
境内社 三峯神社、水神、八大龍王、辨天
祭日 -
住所 三郷市采女1-109-2
備考 -



采女女体神社の由緒

采女女体神社は、彦糸村の森采女が当地(采女新田)を開拓・元禄8年(1695)の分村の際に、彦糸女体神社を勧請したといいます。昭和43年のJR武蔵野線操車場建設の際に当地へ移転したといいます。

新編武蔵風土記稿による采女女体神社の由緒

(采女新田)女體権現社
村の鎮守なり、彦糸村千手院持
末社天神、辨天、水神。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による采女女体神社の由緒

女体神社
当社の鎮座する采女一丁目は、元は采女新田と呼ばれていた所である。その地名は隣村の彦糸村の森采女という者が開拓したことに由来し、彦糸村からの分村は元禄八年(一六九五)のことであるという。『風土記稿』に、当社は「女体権現社、村の鎮守なり、彦糸村千手院持、末社天神、弁天、水神」とある。その創建については、親村の彦糸村の鎮守と同社名(註:彦糸女体神社)であること、更に、同村の千手院が別当を務めていたことなどを勘案するに、森采女による新田開発の際に、耕地の安泰を祈って祀られたものと思われる。『明細帳』の「元和六庚申年(一六二〇)三月創立」の記事が、これに当たるのであろうか。
昭和四十三年、現JR武蔵野線操車場建設に伴い、采女新田の集落の中心部がその予定地となり、氏子の家々や薬師堂などの移転が余儀なくされた。当社はこの予定地からは外れたが、将来、氏子集落から取り残され、参拝にも支障を来すこ上から、同時に移転することになった。これにより、当社及び薬師堂の代替地として現在地が選定され、新たに社殿を造営し、これに従来の本殿が移されたのである。
移転前の境内は、松の大木が立ち並ぶ杜で、遠く吉川町からも見えるほどであった。昔は、田畑のぼやがよくあり、そのような時には、当社の杜に反射するのを見て、ぼやの方向を見極めたこともあったという。これらの松も移転を機に、すべて伐採されてしまった。(「埼玉の神社」より)


采女女体神社の周辺図


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