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新和稲荷神社。三郷市新和の神社

新和稲荷神社の概要

新和稲荷神社は、三郷市新和にある神社です。新和稲荷神社の創建年代は不詳ですが、水防稲荷を元禄年間(1688-1704)に合祀、稲荷社と呼ばれていたといい、江戸時代初期には新和村の鎮守社であったといいます。明治5年村社に列格、明治42年には字新川堤添の荒神社及び当社の境内社であった水神社と福富神社を合祀したといいます。

新和稲荷神社
新和稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 稲倉魂命
相殿 -
境内社 日枝神社
祭日 -
住所 三郷市新和1-441
備考 -



新和稲荷神社の由緒

新和稲荷神社の創建年代は不詳ですが、享保12年(1727)銘の棟札があることから、江戸時代中期には創建、八町堀村の鎮守社であったといいます。明治45年八町堀村字下中通の稲荷社、大字市助の稲荷社、大字大膳の稲荷神社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による新和稲荷神社の由緒

(八町堀村)稲荷社二
一は村の鎮守にして村持、一は村民の持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による新和稲荷神社の由緒

稲荷神社
鎮座地である八町堀は、中川と江戸川に挟まれた低湿地帯に位置し、古くから沼や堀の多い地であった。地名の起こりは、昔(一説には寛文六年)、台風のため江戸川が氾濫し、濁流水当地を襲い、水が引いた後に八町余りの堀ができていたことによるという。
当社の創建年代については明らかでないが、享保十二年(一七二七)の棟札が現存することから、既に江戸の中ごろには、今のような形で祀られていたと推測される。
内陣には、右の棟札のほかに、安永四年(一七七五)銘の「正一位稲荷宮、八丁堀惣氏子中」と刻まれた石河、賢には「正十億稲荷五柱之大神」と記された二体の神璽(その箱書には「正一位稲荷大明神」とある)と、これにかかわると思われる「稲荷本山證状、公文所」と書かれた空箱など、当社のたどってきた歴史をうかがわせる多数の史料を納めている。
『風土記稿』八町掘村の項を見ると、「稲荷社二一は村の鎮守にして村持、一は村民の持」と記されている。こののうち、村の鎮守の方が当社である。一方、村民の持ちの稲荷社は、字下中通にあったが、明治四十五年、政府の合祀政策に基づき、大字市助の稲荷社、大字大膳の稲荷神社と共に当社に合祀された。しかし、旧氏子の希望により、市助と大膳の稲荷神社は、その後返還し、旧地に復している。(「埼玉の神社」より)


新和稲荷神社の周辺図


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