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上口香取神社。三郷市上口の神社

上口香取神社の概要

上口香取神社は、三郷市上口にある神社です。上口香取神社の創建年代は不詳ですが、香取神宮を勧請、上口村の鎮守社であったといいます。明治5年村社に列格、明治40年内沼の神明社を合祀したといいます。明治6年村社に列格、明治40年には字郷の無格社第六天社と羽黒社を合祀、昭和25年に、境内社の八坂社・稲荷社・八幡社と共に合殿社に祀られるようになったといいます。

上口香取神社
上口香取神社の概要
社号 香取神社
祭神 経津主之命
相殿 -
境内社 第六天社、羽黒社、八坂社、稲荷社、八幡社
祭日 -
住所 三郷市上口1-74
備考 -



上口香取神社の由緒

上口香取神社の創建年代は不詳ですが、香取神宮を勧請、上口村の鎮守社であったといいます。明治5年村社に列格、明治40年内沼の神明社を合祀したといいます。明治6年村社に列格、明治40年には字郷の無格社第六天社と羽黒社を合祀、昭和25年に、境内社の八坂社・稲荷社・八幡社と共に合殿社に祀られるようになったといいます。

新編武蔵風土記稿による上口香取神社の由緒

(上口村)
香取社
本地十一面観音を安ず、村の鎮守なり、東光院持、下同
第六天社
羽黒社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による上口香取神社の由緒

当社は、集落の北端にあって南面し、氏子の家々を見守るように鎮座している。境内の途中を道路で分断されるものの、よく手入れされた長く延びる参道が印象的である。昔は社の周りに樹木が林立していたといわれ、今にも増して緑の多い清閑な境内であったと思われる。
当社は、口碑によると、下総国一の宮香取神宮を勧請したものという。『風土記稿』には「香取社 本地十一両観音を安ず、村の鎮守なり、東光院持」と載る。この本地仏は、現在も本殿に安置されており室町初期の作と伝えられる。また、別当であった東光院は、荒神山薬師寺と号する真言宗の寺院で、当社の東側に位置していを。昭和五十四年、境内に公民館が建設されるまでほ、祭典後の直会は、別当であったころからの名残で、東光院を会場に行われていた。
明治六年に村社となり、同四十年には字郷の無格社第六天社と羽黒社を合祀した。その際、社殿はそれぞれ境内に移されたが、昭和二十五年に、古くからある境内社の八坂社・稲荷社・八幡社と共に、本社の右手把新たに造営された合殿社の内に祀られるようになった。なお、当社の覆屋内には、本殿のはかに、合祀の経緯が記された神璽と合祀社及び旧来の境内社のものと思われる稲荷大明神像・天満天神像・鹿島大明神像・羽黒権現神像・八幡大明神像の五体の木像が納められている小祠が置かれている。(「埼玉の神社」より)


上口香取神社所蔵の文化財

  • 二郷半囃子・里神楽(市指定無形民俗文化財)

二郷半囃子・里神楽

上口香取神社に合祀されている八坂神社の祭礼として、毎年七月十五日に行われるものであり、これは氏子の安全、厄病退散・五穀豊穣を祈願して行われるものである。このとき祭りを盛り上げるために行われるのが囃子と神楽である。
この囃子は二郷半囃子といわれ、俗にいう五人囃子で、笛・太鼓・鉦などの楽器を使用し演奏される。流派は葛西囃子系であり、始まりは明治時代であるという。曲目はアゲ・囃子・聖天・鎌倉・四丁目・タマがある。
また、上口地区で伝承されてきた神楽は俗に言う里神楽(民間で伝承されてきた神楽の総称)と言われ、祭りの起源は江戸時代末期であると伝えられている。演目はサンバ・大蛇退治・恵比寿の鯛釣り・狐釣りなどがある。いつでもどこでも簡単に演出され、軽妙・洒脱・素朴で広く市民に親しまれている。(三郷市教育委員会掲示より)


上口香取神社の周辺図


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