花和田香取神社。三郷市花和田の神社

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花和田香取神社。香取神宮を文明年間に勧請

花和田香取神社の概要

花和田香取神社は、三郷市花和田にある神社です。花和田香取神社は、千葉県の香取神宮を本社として文明年間(1469-1487)に勧請、明治5年村社に列格していたといいます。明治40年大字花和田字下河原に鎮座していた神明神社、稲荷神社、羽黒山を合祀しています。

花和田香取神社
花和田香取神社の概要
社号 香取神社
祭神 経津主之命
相殿 天照皇大神、宇賀能魂命、須佐之男命、伊弉諾命、八大龍王命
境内社 厄神社、稲荷神社、羽黒神社、水神社
祭日 -
住所 三郷市花和田416
備考 旧村社



花和田香取神社の由緒

花和田香取神社は、千葉県佐原の香取神宮を本社として文明年間(1469-1487)に勧請、明治5年村社に列格していたといいます。明治40年大字花和田字下河原に鎮座していた神明神社、稲荷神社、羽黒山を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による花和田香取神社の由緒

(花和田村)
香取社
村の鎮守なり、西善院
末社稲荷、水神。
神明社
同持
稲荷社
観音寺持
羽黒社
同持(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県・三郷市掲示による花和田香取神社の由緒

香取神社
香取神社は、千葉県佐原の香取神宮を本社として、文明年間(一四六九〜一四八七)に勧請した神社で、明治四十年二月五日神明神社、稲荷神社、羽黒山を合祀した。
現在の中川は昔の利根川であり、この地方は下総の国になっていた。このため現在の中川の東側は香取神社が祀られ、西側は武蔵国で氷川神社が多く祀られていた。その後、江戸時代になってこの地方は江戸川の西側となり武蔵国になった。
当神社の祭神は、経津主之命(別名伊波比主之命)で、その他に天照皇大神、宇賀能魂命、須佐之男命、伊弉諾命、八大龍王命が合祀されている。
合祀されている祭神のうち八大龍王命は、昔この地方の八人の名主が水害からこの地方を守るため、人柱となってくれた八人の命を水神様として祀ったものである。
祭礼は、元旦祭(一月十二日)、初午(二月の初午日)、夏祭(七月十五日)、秋祭(お日待、十月十五日)である。このうち夏祭は、以前山車と囃子で村回りをしていたが、現在は御神輿で町内を回っている。(埼玉県・三郷市掲示より)

「埼玉の神社」による花和田香取神社の由緒

香取神社
鎮座地の花和田は、中川左岸にある。地名は、中州が当地で大きく湾曲していることに由来する。
創建にかかわる史料は度重なる水害のために失われでいるが、口碑によれば下総国一の宮の香取神宮の分霊を祀ったものであるという。
『風土記稿』には、「香取社、村の鎮守なり、西善院持、末社稲荷水神」と記されている。ここに載る西善院は、慶長年間(一五九六-一六一五)に村民五郎右衛門により開基された寺で、神仏分離まで当社の管理に当たっていた。
明治五年に村社となり、同四十年には大字花和田字下河原に鎮座していた稲荷神社・羽黒神社・神明神社の三社が合祀された。
『明細帳』に「大正十五年四月十七日午前一時発火シ本拝殿焼失ス」の記事が見える。この火災は付け火に上るもので、当時、草葺きの拝殿を葺き替えるに当たり、たまたま出入りの鳶職を頼まず、氏子だけで足場を掛けたため、鳶職の怒りを買ったのである。その後、氏子一同により再建が進められ、昭和四年には盛大に竣工式が行われた。
境内社には、厄神社・稲荷神社・羽黒神社・水神社の四社があり、中でも厄神社には内陣に仏像が安置され、その厨子には「安政三丙辰年(一八五六)八月吉日奉開眼供養摩怛梨神王、小池坊四十八世権僧正永雅」と刻まれている。(「埼玉の神社」より)


花和田香取神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」