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大塚熊野神社。熊谷市大塚の神社

大塚熊野神社の概要

大塚熊野神社は、熊谷市大塚にある熊野神社です。大塚熊野神社の創建年代は不詳ながら、江戸時代末期には大塚村の鎮守社として祀られていたといい、明治5年には村社に列格、明治42年には村内に鎮座していた猿田彦神社・宇賀神社・豊蚕神社・塞神社の四社を合祀したといいます。

大塚熊野神社
大塚熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 熊野夫須美命・速玉男命・家都御子神
相殿 -
境外摂社 -
祭日 -
住所 熊谷市大塚365
備考 -



大塚熊野神社の由緒

大塚熊野神社の創建年代は不詳ながら、江戸時代末期には大塚村の鎮守社として祀られていたといい、明治5年には村社に列格、明治42年には村内に鎮座していた猿田彦神社・宇賀神社・豊蚕神社・塞神社の四社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による大塚熊野神社の由緒

(大塚村)熊野社
村の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による大塚熊野神社の由緒

熊野神社<熊谷市大塚二六六(大塚字杉戸田)>
大塚の地名は、その地内に大きな古墳があることに由来する。この古墳は、七世紀初頭に造られたもので、その出土品から当地を支配していた豪族の墓であろうと推定されている。直径五九メートル、高さ一・二メートルの基壇上に、直径三五メートル、高さ四メートルの半円が載った形をとる市内最大の円墳で、中には横穴式石室が築かれている。当社は、この墳丘上にあり、古墳の下には江戸時代に別当であった龍昌寺がある。以前は、周りに民家などがなかったのでかなり遠方からでもその堂々とした社を見ることができたが、近年では墳丘の周囲にも建物が増えたため、参道の正面からでもその全容が見られないのは残念である。
祭神は、熊野夫須美命・速玉男命・家都御子神のいわゆる熊野三神である。『風土記稿』の記述から、当社は江戸時代には既に大塚の鎮守として祀られていたことが知られるが、創建の年代は明らかでなく、古墳の被葬者との関係も分かっていない。
神仏分離の後は、明治五年に村社になり、同四十二年十二月(『明細傾』では四十一年)には地内に鎮座していた猿田彦神社・宇賀神社・豊蚕神社・塞神社の四社を合祀した。ただし、宇賀神社は現在も旧地に社殿が残っており、毎年四月に農事組合の人々が中心になって祭りを行っている。(「埼玉の神社」より)


大塚熊野神社所蔵の文化財

  • 大塚古墳(熊谷市指定文化財史跡)

大塚古墳

大塚古墳は、古墳時代後期(七世紀前半)につくられた円墳で当地を支配していた豪族の墓であろうと推定されています。
墳丘は、直径約五九m、高さ一・二mの基壇上に直径約三五m高さ四m以上の円丘がのった形です。全体で、五・二m以上の高さになると考えられます。
現存する墳丘は、北西部分のみ残存していて、墳丘全体の約四分の一が残っている状態です。
二度にわたる発掘調査により、埋葬私設は、奥室・前室をもつ複室構造の胴張型横穴式石室であることが確認されています。
石室内から、鉄製小札・鉄鏃・金銅製鞘尻金具・勾玉のほか、金箔装漆塗木棺の破片が出土し、西側の基壇上からは、須恵器の瓶が列をなして出土しました。(熊谷市教育委員会掲示(新編武蔵風土記稿より)

大塚熊野神社の周辺図




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