川北神社。熊谷市上中条の神社

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川北神社。旧称蔵王権現社、吉野神社

川北神社の概要

川北神社は、熊谷市上中条にある神社です。川北神社の創建年代等は不詳ながら、蔵王権現社と称して上中條村字川北の鎮守社だったといい、慶安2年(1649)には社領10石5斗の御朱印状を拝領していたといいます。明治維新の神仏分離令により別当が実相院から秋葉神社祀職へ変わり吉野神社と改称、明治43年に字荒宿無各社秋葉神社、字吉野無各社八王子社を合祀して川北神社と改称したといいます。

川北神社
川北神社の概要
社号 川北神社
祭神 日本武尊、蔵王権現像
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 熊谷市上中条2500
備考 -



川北神社の由緒

川北神社の創建年代等は不詳ながら、蔵王権現社と称して上中條村字川北の鎮守社だったといい、慶安2年(1649)には社領10石5斗の御朱印状を拝領していたといいます。明治維新の神仏分離令により別当が実相院から秋葉神社祀職へ変わり吉野神社と改称、明治43年に字荒宿無各社秋葉神社、字吉野無各社八王子社を合祀して川北神社と改称したといいます。

新編武蔵風土記稿による川北神社の由緒

(上中條村)蔵王権現社
社領十石五斗。前と同年(慶安二年)に附せらる。
別当実相院
是も常光院の門徒なり。大塚山昌福寺と号す。弥陀を本尊とす。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による川北神社の由緒

川北神社(熊谷市上中条二五〇(上中条字吉野))
当社は、荒川扇状地にあり、古代から開発された所で、地名の中条は古代の条里制に由来する。
『風土記稿』に「蔵王権現社 社領十石五斗、前と同年に(慶安二年・一六四九)付せらる、別当実相院 是も常光院(天台宗)門徒なり、大塚山昌福寺と号す」とある。
この蔵王権現社が当社であり、社蔵文書の明治三年十二月「吉野神社明細書」に「字川北鎮守吉野神社、社号ハ元蔵王権現ト称来リ候処明治二已年十一月吉野神社ト改正仕候。従来天台宗実相院ニテ別当仕来候処、先般神社御見分ノ節、御出役様へ御伺済ノ上同村秋葉神社神主島田清美方へ奉幣ヲ頼ミ申候」とあり、社号改称と奉仕者変更を知ることができる。なお、島田家は、字荒宿の鎮守秋葉神社の別当を務めてきた当山派修験大学院が復飾したものである。
神仏分離に伴い、祭神は日本武尊とされたが、内陣には現在も像高七二センチメートルの蔵王権現像が安置され、氏子に権現様と呼ばれて崇敬されている。この像を納める厨子には「宝永第四丁亥暦(一七〇七)九月吉日」の墨書銘がある。
今日の社号川北神社は、明治四十三年五月二十日の改称であり、『明細帳』に「字荒宿無各社秋葉神社、字吉野無各社八王子社ヲ合祀シ、社号ヲ川北神社ト改称ス」とある。(「埼玉の神社」より)


川北神社の周辺図