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古宮神社。熊谷市池上の神社

古宮神社の概要

古宮神社は、熊谷市池上にある浅間神社です。古宮神社は、旧宮幣大社日前国懸神宮を勧請して長寛2年(1164)に社殿を造立したといいます。江戸期には岩倉社と称していたものの、古社故に古宮神社と改めたといいます。

古宮神社
古宮神社の概要
社号 古宮神社
祭神 石凝姥命
相殿 少彦名命、武甕槌命
境内社 稲荷社、愛宕・天神・靖国社
祭日 -
住所 熊谷市池上606
備考 -



古宮神社の由緒

古宮神社は、旧宮幣大社日前国懸神宮を勧請して長寛2年(1164)に社殿を造立したといいます。江戸期には岩倉社と称していたものの、古社故に古宮神社と改めたといいます。

新編武蔵風土記稿による古宮神社の由緒

(池上村)岩倉社
村の鎮守なり。皿尾村久伊豆雷電両社の社人、青木主殿の持なり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による古宮神社の由緒

古宮神社(熊谷市池上六〇六(池上字古宮))
池上は、中世埼玉郡の内にあった池上郷の遺名である。池上郷について詳細は不明であるが、当地が荒川の扇状地内に存在し、下流に当たる部分に低地帯が広がっていたため、大昔には荒川は当地の下で、しばしば、その流路を変えた。このため、流れの跡には数多くの池が生じていた。池上の地名はこの辺から付けられたものであろう。
当社は『風土記稿』に「岩倉社」と載り、また幕末に掲げられた社号額には「古宮神社・岩倉大明神」と書かれているように、古くは岩倉社、又は岩倉大明神とも称していた。
岩倉とは、磐座で、磐は堅固の意であり、神の鎮座する所を表している。これは、神が社殿に祀られる以前の状態を示し、当社の創祀が古いことを物語るもので、古宮と呼ばれる由縁であろう。
社家である茂木家の記録によると、当社は、古代に、現・和歌山市秋月にある旧宮幣大社日前国懸神宮を勧請したもので、初めは社殿は造らず、新たに社殿を造立したのは、平安末期の長寛二年(一一六四)一月であるという。祭神は、天岩屋戸の段に、鏡を作って天照大神を慰めた石凝姥命である。なぜ、和歌山に祀られ鏡作部の遠祖とされる同神が、この地に勧請されたか不明であるが、埼玉地方は、武蔵国の古代文化の中心地の一つであり、近くには金錯銘鉄剣で有名な埼玉古墳群があることなどを考え合わせると、当地に神部(鏡作)ゆかりの人たちが住み、当社を祀ったとも考えられる。
更に、茂木家の記録によれば、鎌倉期の寛喜二年(一二三〇)に当地方の名族成田助広が当地に住み、池上藤兵衛と称して当社を厚く崇敬し、社殿を再建してその規模を大きくし、以来、当社は池上郷総鎮守と仰がれるようになった。
その後、当社に対する信仰は高まり、これを受けて室町期の文安二年(一四四五)五月五日には、相殿の神として少彦名命と武甕槌命を勧請した。また、当地の神主茂木大膳は、京都石清水八幡宮に奉納された獅子舞を拝観して感ずるところがあり、これを習得して帰り当地に伝えた。以来、この獅子舞は今日まで続けられている。
江戸期には、当社の信仰は江戸市中まで広まった様子で、寛政七年(一七九五)九月には、当所の村田辰右衛門と江戸浅草三筋町の夏目大八とで、社前の敷石五〇枚を奉納している。社頭いよいよ盛んになった安政二年(一八五五)二月には神祇管領より「武蔵国埼玉郡池上村古宮神社・岩倉大明神」と記した幣帛が調進されている。(「埼玉の神社」より)


古宮神社の周辺図




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