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八坂神社(原島)。熊谷市原島の神社

八坂神社(原島)の概要

八坂神社(原島)は、熊谷市原島にある八坂神社です。八坂神社(原島)の創建については不詳ながら、原島村小名久保ヶ谷戸の鎮守社だったといいます。

八坂神社(原島)
八坂神社(原島)の概要
社号 八坂神社
祭神 素盞鳴命
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 熊谷市原島262
備考 -



八坂神社(原島)の由緒

八坂神社(原島)の創建については不詳ながら、原島村小名久保ヶ谷戸の鎮守社だったといいます。

新編武蔵風土記稿による八坂神社(原島)の由緒

(原島村)
天王社
窪谷戸の鎮守なり、吉祥寺の持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による八坂神社(原島)の由緒

八坂神社(熊谷市原島二六二(原島字久保ヶ谷戸))
かつて当社は牛頭天王を祀り、「天王社」と呼ばれていたことから現在も「天王様」の通称で親しまれており、鎮座地の字名も当社にちなんで「天王」という。境内は、原島の廓(集落)の一つである久保ヶ谷戸の東のはずれに位置し、その周囲には民家と畑が混在している。今では、境内には樹木はほとんどないが、太平洋戦争が激化するまでは鎮守の杜と呼ぶのにふさわしく、鬱蒼とした杉が林を成し、社殿の脇には「御神木」と呼ばれていた椋榎の大木もあった。しかし、この神木は戦時中、社殿の後方に軍の防空監視哨が設置された時に、監視の妨げになるという理由で伐採され、杉も戦後に枯死してしまった。
当社は『風土記稿』に「天王社 窪谷戸の鎮守なり」とあるように、創建以来、久保ヶ谷戸の鎮守として祀られている。ただし、だれがいつごろ、どういう経緯で祀ったものなのかということについては、残念ながら何も伝えが残っていない。なお、当社は江戸時代には真言宗の吉祥寺によって管理されており、古風な趣を持った一間社流造りの本殿の中には、そうした神仏習合の名残で牛頭天王画像が納められている。
明治になると、吉祥寺の管理を離れ、祭神は素盞鳴命、社名は現行の八坂神社に改められた。更に明治十四年には、久保ヶ谷戸の大火で被害を受けた拝殿も氏子の力によって再建された。(「埼玉の神社」より)


八坂神社(原島)の周辺図




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