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八幡大神(代)。熊谷市代の神社

八幡大神(代)の概要

八幡大神(代)は、熊谷市代にある八幡大神です。八幡大神(代)は、天正6年(1578)の上州大間々要害山の戦に敗れて当地に落ち延びた里見義次が、天正8年(1580)に郷里の岩松から八幡宮を分霊して当社を創建、代村の鎮守社だったといいます。明治5年村社に列格、明治41年に熊野神社・磯崎社・八坂神社・諏訪神社を合祀したといいます。

八幡大神(代)
八幡大神(代)の概要
社号 八幡大神
祭神 誉田別命
相殿 -
境内社 諏訪社・八坂社・弁財天・天満宮
祭日 -
住所 熊谷市代1343
備考 -



八幡大神(代)の由緒

八幡大神(代)は、天正6年(1578)の上州大間々要害山の戦に敗れて当地に落ち延びた里見義次が、天正8年(1580)に郷里の岩松から八幡宮を分霊して当社を創建、代村の鎮守社だったといいます。明治5年村社に列格、明治41年に熊野神社・磯崎社・八坂神社・諏訪神社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による八幡大神(代)の由緒

(代村)
八幡社
村内の鎮守なり、村持
諏訪社
持同じ
熊野社
清安寺持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による八幡大神(代)の由緒

八幡神社(熊谷市代一三四三(代字八幡))
当社の由緒について、次のような伝承がある。鎌倉時代、上州岩松に土着した清和源氏の流れをくむ新田義重は、源氏の氏神である八幡神を山城国石清水八幡宮から勧請した。その後、新田家から分家し、里見家を興した義重の弟から一五代目に当たる里見義次が、天正六年(一五七八)の上州大間々要害山の戦に敗れ、武州代村(当地)に落ち延びた。代村に土着した義次は同八年(一五八〇)に郷里の岩松から八幡宮を分霊して当社を創建した。下って、慶長十八年(一六一三)行者三海を開山として顕松院を建立し、当社の別当とした。これより同院は九世にわたり、当社の祭祀に専念したが、文化四年(一八〇七)に廃寺となるに至った。このため、里見助左衛門が祀職となるべく上京し、白川家の許状を得、当社の社家となったという。
現在、拝殿に掛かる文化二年(一八〇五)惣氏子中奉納の「新田義貞」と文化十二年(一八一五)当所里見氏奉納の「新田義貞鎌倉攻め」を描いた二枚の絵馬は、右の言い伝えにちなむものであろう。
『明細帳』によると、明治五年に村社となり同四十一年に代の地内にあった熊野神社・磯崎社・八坂神社・諏訪神社の四社を合祀した。
なお、祀職は、昭和三十七年まで先の里見家が務めていたが、その後、古宮神社社家の茂木家が継いで、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)


八幡大神(代)の周辺図




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