蒲生久伊豆神社。越谷市蒲生の神社

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蒲生久伊豆神社。野与党の一族大相模次郎能高の居館近くに鎮座

蒲生久伊豆神社の概要

蒲生久伊豆神社は、越谷市蒲生にある久伊豆神社です。蒲生久伊豆神社の創建年代等は不詳ですが、当地近くには武蔵七党野与党の一族大相模次郎能高(延久元年1069年歿)の居館跡があり、久伊豆神社は野与党の氏神といわれることから、古くに創建したものといい、大相模郷蒲生村の鎮守社となっていたといいます。明治8年村社に列格、明治41年には政府の合祀政策に従って字山谷の稲荷社、字西口の天神社及び神明社、字山谷の天満社といった大字内の無格社並びにそれらの境内社を合祀しています。

蒲生久伊豆神社
蒲生久伊豆神社の概要
社号 久伊豆神社
祭神 大己貴命、素盞嗚尊
合祀 -
境内社 体守護神社、榛名社
祭日 -
住所 越谷市蒲生1-10
備考 蒲生村鎮守、旧村社



蒲生久伊豆神社の由緒

蒲生久伊豆神社は応永年間(1394-1427)の創建といい、蒲生村の鎮守社だったといいます。明治4年村社に列格、大正4年に字村添の久伊豆神社と神明社、字天神後の天神社字道沼の八幡社と稲荷社、字荒神後の荒神社と日枝社の七社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による蒲生久伊豆神社の由緒

(蒲生村)久伊豆社
一は光明院持にて村の鎮守なり、應永年中の鎮座と云、一は清蔵院持、一は村民の持なり(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による蒲生久伊豆神社の由緒

久伊豆神社(蒲生1-712)
大己貴命を祭神とする久伊豆神社は、中世に埼西郡と呼ばれた地域に分布する社である。蒲生は、この埼西郡のうち越ケ谷郷に属していた。当地は、綾瀬川左岸の沖積地に位置し、中央部にある自然堤防の上に、中世から続く集落や当社をはじめとする社寺が集中している。地名は、蒲の生えた低地が広がっていたことから付いたといわれるが古くは加茂村と称していたと伝えられている。
当地は、日光街道の草加宿と越ケ谷宿の間の立場に当たり、村の南外れの一里塚(県指定文化財)辺りから茶屋や商家が並んでいた。
当社は『風土記稿』蒲生村の項に「光明院持にて村の鎮守なり、応永年中(一三九四一四二八)の鎮座と云」とあり、江戸期は当社の北東五〇〇メートルにある真言宗遍照山光明院が、別当を務めていた。この光明院所蔵の「当寺記録」に、宝永四年(一七〇七)に神祇管領吉田兼敬が当社に発給した宗源祝詞の写しがあり、これには当社が鎮座して三二〇余年を経ていると記されることから、当時は応永年中よりもやや古い南北朝末期の創建と伝えていたようである。また、明治期の『明細帳』には「天文二十三年(一五五四)九月創立」とあるが、いずれとも判然としない。その後明治四年に村社となり、大正四年十一月二十三日に字村添の久伊豆神社と神明社、字天神後の天神社、字道沼の八幡社と稲荷社、字荒神後の荒神社と日枝社の七社を合祀した。(「埼玉の神社」より)


蒲生久伊豆神社の周辺図