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鎌塚八幡神社。鴻巣市鎌塚の神社、旧鎌塚村鎮守

鎌塚八幡神社の概要

鎌塚八幡神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代には鎌塚村の鎮守社となっていました。

鎌塚八幡神社
鎌塚八幡神社の概要
社号 鎌塚八幡神社
祭神 誉田別命
相殿 -
境内社 三峰、天満宮、稲荷、若宮、浅間・琴平・御嶽・戸隠・神明・八坂、浅間・稲荷、塞神、弁財天
祭日 -
住所 鴻巣市鎌塚428
備考 旧鎌塚村鎮守



鎌塚八幡神社の由緒

鎌塚八幡神社の創建年代は不詳ですが、寶積院の創建とほぼ同時期に創建されたと伝えられます。江戸時代には鎌塚村の鎮守社となっていました。

新編武蔵風土記稿による鎌塚八幡神社の由緒

八幡社
村の鎮守なり。寶積院の持。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による鎌塚八幡神社の由緒

当社の創建の年代は不明であるが、口碑によれば、地内の石川家の先祖が、本貫である河内国志紀郡誉田村恵我(現大阪府羽曳野市)の誉田八幡宮を当地の宝積院境内に、氏神として勧請し祀ったことに始まるという。石川家については、元は成田氏の家臣であったが、同氏投落後に当地に土着したと伝え、江戸期に名主を務めていた。
「風土記稿」鎌塚村の項に、当社は「八幡社 村の鎮守なり 宝積院持」と載る。この宝積院は、瑠璃山阿弥陀寺と号する真言宗の寺院で、天正7年(1597)に盛照和尚が中興した。社蔵の元禄10年(1697)の当社再建棟札には「宝積院 現住順快」の名が記されている。ちなみに、宝積院の現本堂は、文政9年(1826)に石川家が大檀那となって建てたものと伝えられており、同家は宝積院の維持にも深く関与していたことがわかる。
明治初年、当社が宝積院の境内地にあったことから、神仏分離政策の下、当社の御神体は移転を余儀なくされ、一旦、字一の中の稲荷神社へ遷座され、明治4年には、鳥居などの施設も民有地へ移された。
しかし、その後、時の総代石川茂十郎らの尽力により、国に上地されていた旧地の払い下げを受け、明治7年再び元の地に戻されて祀られることとなった。社殿は昭和41年の台風により倒壊したが、同46年には氏子の協力によって再建されている。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


鎌塚八幡神社の周辺図


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