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善光寺。川口市舟戸町にある真言宗智山派寺院

善光寺の概要

真言宗智山派寺院の善光寺は、平等山阿弥陀院と号します。善光寺は、僧定尊が建久6年(1195)信濃善光寺の弥陀を模鋳、当所に堂宇を建立して開山、その後横曽根村吉祥院、豊島郡袋村真頂院から僧一人づつを置て此堂を守っていて西善院・東明寺という別当寺二か寺により護持されてきたといいます。元禄8年(1695)一容が真言宗に改め本堂を再建、江戸期には寺領10石の御朱印を拝領、足立坂東三十三ヶ所霊場24番、北足立八十八ヵ所霊場79番、武蔵国八十八ヶ所霊場70番です。

善光寺
善光寺の概要
山号 平等山
院号 阿弥陀院
寺号 善光寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 川口市舟戸町1-29
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



善光寺の縁起

善光寺は、僧定尊が建久6年(1195)信濃善光寺の弥陀を模鋳、当所に堂宇を建立して開山、その後横曽根村吉祥院、豊島郡袋村真頂院から僧一人づつを置て此堂を守っていて西善院・東明寺という別当寺二か寺により護持されてきたといいます。元禄8年(1695)一容が真言宗に改め本堂を再建、江戸期には寺領10石の御朱印を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による善光寺の縁起

善光寺
平等山阿弥陀院と号す。堂領10石の御朱印を賜ふ。此堂の濫觴は僧定尊なるもの、信濃国善光寺に安置する弥陀の告により、建久6年5月15日三尊の弥陀を模鋳す。後当所に来り此堂宇を建立して、善光寺に擬し模像を安ずと云。されば定尊を開山とせり。此僧は尾張国熱田の住人、南條左京亮経郷の三男にして、幼名を大冶丸と号す。6歳の時出家し、承元4年7月16日、85歳にして示寂す。其後は横曽根村吉祥院、豊島郡袋村真頂院より僧一人づつを置て此堂を守りしが、何の頃か各一寺を開きて別当と定む。今の東明院、西善院の二ヶ寺是なりと云。元文2年閏11月28日寂せり。もしくは此一容が時善光寺と改めて付会せしにや。されど證なければ姑く疑を存す。本尊一光三尊の弥陀則定尊の作なりと云。又別に同像を造て其前に安ず。其中尊の胎中に弘法大師の作なる弥陀を納む。其余堂中に定尊の像空也上人・木田善光・善亮弥生前等の像を置。又三尊の弥陀を安ず。これ一容が作と云。
弁財天社。稲荷社、天神を合祀す。
六地蔵堂、六体共に一容が作なり。
釈迦堂。釈迦は涅槃像にて定尊の作なり。又薬師をも安ぜり。此像は弘法大師の作と云。以上の堂社東明院持なり。
八幡社。金毘羅社。
観音堂、正観音を安ず、行基の作なり。
地蔵堂、又閻魔の像をも安ず。以上は西善院の持。
開山定尊墓碑。本堂の後にあり。碑面に善光寺開山定尊沙門と彫り、其余の三面には武州足立郡小川口村、法主敬白、平等山阿弥陀院、別当東明院弘海、西善院賢誉とあり。近き頃建立と云。
鐘楼。宝暦年中鋳造の鐘をかく。
池。永源寺池と呼ぶ、小淵村永源寺、古は此所にありて、其境内の池なりし。かく呼べりと云。
仁王門。
別当東明院。新義真言宗、もとは豊島郡袋村真頂院末なりしが、文化13年より御室仁和寺末となれり。利剱山大聖寺と号す
本尊不動は興教大師の作なり。又一容が作れる大黒天を安ず。開山の僧宥円は永禄11年8月15日寂すと傳へたれど、これ中興の祖なるべしと寺伝にいへり。又二世の僧宥印も中興のことにつき功ありしと云。慶長3年7月14日寂せり。
同西善院。同宗、横曽根村吉祥院末。無量山阿弥陀寺と号す。本尊弥陀は恵心の作なり。開山を宥尊と呼べり、文和4年寂すと云。(新編武蔵風土記稿より)


善光寺の周辺図


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