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氷室神社。川口市芝の神社

氷室神社の概要

氷室神社は、川口市芝にある神社です。氷室神社の創建年代等は不詳ながら、建武2年(1135)以前創建の伝承があるといい、或は別当寺だった真光寺が勧請したのではないかともいいます。徳川家康関東入国後の天正19年(1591)には社領5石の御朱印状を拝領していたといいます。

氷室神社
氷室神社の概要
社号 氷室神社
祭神 大鷦鷯尊(仁徳天皇)
相殿 -
境内社 十度明神社
祭日 -
住所 川口市芝6299
備考 -



氷室神社の由緒

氷室神社の創建年代等は不詳ながら、建武2年(1135)以前創建の伝承があるといい、或は別当寺だった真光寺が勧請したのではないかともいいます。徳川家康関東入国後の天正19年(1591)には社領5石の御朱印状を拝領していたといいます。

新編武蔵風土記稿による氷室神社の由緒

(芝村)氷室社
社領五石は天正十九年御朱印を賜ふ。
末社。十度明神社、此社もと文蔵寺にありしが、洪水のとき爰に流れ来りしと云、十度と稱するは古より洪水の爲に、十度漂流せし故なりといへど覺束なし、思ふにこは重殿の社なるを誤りに十度と唱へ、それよりかかる説をなせしも知べからず。八幡社、天神を合祀せり。
別当真光寺
天台宗、中尾村吉祥寺末、氷室山地蔵院と號す、本尊彌陀を安ず。
地蔵堂。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による氷室神社の由緒

氷室神社(川口市芝六二九九)芝字田中
芝は中世の芝郷の中心地で、地内には建武二年(一三三五)の年紀を刻む銅鏡を所蔵する羽尽神社や、貞治三年(一三六四)に足利基氏の祈願所として創建された臨済宗長徳寺がある。当社はこの長徳寺の地続きにある高台の風光明媚な地に鎮まり、すぐ東側には旧別当の天台宗氷室山真光寺がある。
氷室の社名の意はその字の通り、氷を所蔵しておく室で、『日本書紀』仁徳天皇六十二年の条に、額田大中彦皇子が、闘雞野に狩りをして氷室を見つけ、その氷を天皇に献じたことから、毎年冬に氷を貯え、春分が過ぎると氷を分けることが行われるようになったと記されている。この記事にかかわる氷室は奈良県天理市福住町の氷室神社の後方にある室山で、『延喜式』にはこのほかに畿内に九か所の氷室が記されている。なぜ遠く東国の地に氷室の神が祀られたのかは明らかでないが、滋賀県大津市の天台宗の総本山である延暦寺の近くにも氷室があったことから、同じ天台宗の真光寺により彼の地から勧請されたとも考えられる。また、『風土記稿』には「氷室社 社領五石は天正十九年(一五九一)御朱印を賜ふ」と記されることから、あるいは将軍家にでも献上の氷を一時期保管する室がこの辺りにあったとも思われるが、いずれも推測の域を出ない。祭神は大鷦鷯尊(仁徳天皇)である。
境内の十度明神社は文蔵村から洪水により流れ着いたと伝える。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)

境内掲示による氷室神社の由緒

氷室神社ご由緒
氷室神社の創建は古く、村民の口伝えによれば、遠く建武の時代以前(およそ七百年前)にさかのぼります。天正十九年(西暦一五九一年)徳川家康公によって朱印地大明神領(※「明」は冏に月)として米五石を寄進されたとあります。
御祭神は大鷦鷯尊(オオササギノミコト)で、第十六代仁徳天皇(にんとくてんのう)であります。天皇は応神天皇の皇子で、日本書紀によれば幼くして聡明叡知、天皇になられてからは仁寛慈恵のお方であります。
仁徳天皇の御製に
高どのに 上りてみれば 天の下 四方に 烟りて 国ぞ富みぬる
とありますように、天皇は日々、浪速の高津の宮の高台にのぼり、家々から朝餉や夕餉の煙の立たないのを見て、民の貧窮を察し租税や賦役を免除するなど仁政をおしきになられたお方であります。
明治期の記録(神社明細張)によれば、境内の面積は千七百四十坪、社殿は本殿と拝殿そして神楽殿もあり、境内には、御嶽社、天神社、稲荷社、三峯神社、従殿宮社が祀られておりました。末社として十度明神社があります。
現在の社殿は一間社流造で、例祭は毎年十月十五日であります。
往時はご祭礼の幟が氏子によって立てられ、奉納芝居や出店がでたりして、誠ににぎやかで、この近辺の厚き崇拝をうけていた神社であります。(氏子会掲示より)


氷室神社の周辺図