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根岸春日神社。川口市安行領根岸の神社

根岸春日神社の概要

根岸春日神社は、川口市安行領根岸にある春日神社です。根岸春日神社は、当地の祖先が寛平元年(889)に奈良春日神社を勧請したと伝えられ、建久5年(1194)には源頗朝から永七貫文の寄進を受けて石段を建設したといいます。江戸期には根岸村の鎮守社として祀られ、明治6年村社に列格、明治43年には神饌幣帛料供進神社に指定されたといいます。

根岸春日神社
根岸春日神社の概要
社号 春日神社
祭神 天児屋根命、比賣神、武甕槌命、斎主命
相殿 -
境内社 八雲神社、稲荷神社、古峯神社、三神合祭社
祭日 例大祭2月15日、祇園祭7月15日
住所 川口市安行領根岸1
備考 -



根岸春日神社の由緒

根岸春日神社は、当地の祖先が寛平元年(889)に奈良春日神社を勧請したと伝えられ、建久5年(1194)には源頗朝から永七貫文の寄進を受けて石段を建設したといいます。江戸期には根岸村の鎮守社として祀られ、明治6年村社に列格、明治43年には神饌幣帛料供進神社に指定されたといいます。

新編武蔵風土記稿による根岸春日神社の由緒

(根岸村)
太神宮八幡春日明神合社
村の鎮守なり、感應院の持
末社。天神社(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による根岸春日神社の由緒

春日神社(川口市安行領根岸一)根岸字谷下
芝川のそばの小高い丘に祀られている当社は、創建以来、根岸の鎮守として祀られており、『風土記稿』 根岸村の項にも「太神宮八幡宮春日明神合社 村の鎮守なり、感応院の持」として記されている。この文中に出てくる感応院(註:妙蔵寺塔頭)は、現在の根岸小学校の校門付近にあった日蓮宗の寺院で、明治二年に廃寺となった。当社の由緒については、昭和二十九年にまとめられた社記『春日神社沿革史』 に詳しく記されているが、その明治初期までの部分を要約すれば次のようになる。
当社は寛平元年(八八九)、当時一三戸であった村民の熱望によって奈良から勧請されたものであり、建久五年(一一九四)には源頗朝から永七貫文の寄進を受けて石段を建設した。当初は修験者が祭祀を行っていたが、寛元年間(一二四三-四七)に日蓮宗の僧が天照皇大神と八幡大菩薩を勧請し、以後は三社宮と称してきた。現在の本殿は文久元年(一八六一)に完成したもので、同年十月十五日に正遷宮が斎行された。明治二年には太政官布告に従って神仏分離を実施し、社名を春日神社と改め、同六年村社となった。
なお、一説によれば、当社はかつて社家であった中村家の先祖が、寛仁元年(一〇一七)に奈良の春日神社から勧請し、創建したものであるとも伝える。しかし、中村家は明治初期に絶えてしまっており、残念ながら同家についても、この説についても詳細は分からない。(埼玉県神社庁「埼玉の神社より)

境内掲示による根岸春日神社の由緒

当社は宇多天皇寛平元年(西暦八八九)に氏子十三戸が奈良から勧請して奉斎したもので、建久五年(一一九四)には鎌倉幕府将軍源頼朝から永七貫文の寄進を受け、石段を建設したと伝へる。
後に、当社別当たる日蓮宗の僧が、天照皇大神と八幡大菩薩を勧請して「三社宮」と称してゐたが、明治維新に際し太政官布告により神仏混淆を廃して神官を置き、現社名の「春日神社」となった。
明治六年には、根岸村の鎮守として村社に列せられ、更に同四十三年、神饌幣帛料供進神社に指定された。
大正十二年、関東大震災に際し拝殿が倒壊するなどの被害を被ったが、文久元年(一八六一)建築の本殿は無事であった。
爾来八十年間、仮建築の拝殿による祭祀を余儀なくされてきたが、平成十七年に、氏子中の熱誠による拝殿・幣殿・社務所・境内神社の新築大造営事業が完成・従前の本殿と相俟って、神根地区の鎮守にふさはしい面目を整へた。
毎歳の例大祭には、神社本庁献幣使の参向がある。(境内掲示より)


根岸春日神社の周辺図