小ヶ谷白山神社。川越市小ヶ谷の神社

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小ヶ谷白山神社。開発に際して入植してきた村民が祀った社

小ヶ谷白山神社の概要

小ヶ谷白山神社は、川越市小ヶ谷にある白山神社です。小ヶ谷白山神社は、川越城主松平伊豆守信綱が当地周辺を開発、開発に際して入植してきた村民により鎮守として祀ったといいます。明治4年に村社に列格、明治40年には堂庭の熊野神社、西裏の神明神社、堤外の稲荷神社を合祀しています。

小ヶ谷白山神社
小ヶ谷白山神社の概要
社号 白山神社
祭神 菊理姫命・伊弉諾尊・伊弉冉尊
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 川越市小ヶ谷156
備考 旧村社



小ヶ谷白山神社の由緒

小ヶ谷白山神社は、川越城主松平伊豆守信綱が当地周辺を開発、開発に際して入植してきた村民により鎮守として祀ったといいます。明治4年に村社に列格、明治40年には堂庭の熊野神社、西裏の神明神社、堤外の稲荷神社を合祀しています。

新編武蔵風土記稿による小ヶ谷白山神社の由緒

(小ヶ谷村)白山社
當社は元の地頭天野彦兵衛が祀る所なりと云のみにて年代を知らず、正徳二年十二月、時の領主秋元但馬守喬知再建の棟札あり、村内圓福寺持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による小ヶ谷白山神社の由緒

白山神社<川越市小ヶ谷一五六(小ヶ谷字藪合)>
当社の由緒は口碑によると、川越城主松平伊豆守信綱が開発に当たり、ここは川越丘陵と的場丘陵に挟まれた耕作に不適な地、俗にいう“ヤクザッチ”であった。このため、中央部を貫流していた入間川を西方に移し、堤防を入間川村から奥富村を通り日東村に至るものに改めた。これにより当地は数戸が細々と暮らしていた荒れ地から解放され、今日の基礎をなす村が誕生した。堤防移築後も度々入間川は氾濫を起こし、昭和五八年埋め立てられたオッポリと呼ばれた池などは明暦の大洪水によって生じたものであった。
このように、水に生活を支配されていたともいえる当地では、古くから住み着いた人々が水神として当社を祀り、松平信綱による新田開発時に信州から入植した草分け戸泉家(現在二四代目)、周囲に土塁の残る内田家などが、鎮守として信仰したものであるという。
当社は正徳二年・延享三年銘の棟札を蔵している。この棟札には領主秋元但馬守、秋元摂津守などの名が見え領主の崇敬が厚かったことがうかがえ、更に別当を円福寺が務めていたことが知られる。
明治四年に村社となり、同四〇年には堂庭の熊野神社、西裏の神明神社、堤外の稲荷神社を合祀した。
一間社流造りの本殿には、一八センチメートルの白山妙理権現像を安置する。(「埼玉の神社」より)


小ヶ谷白山神社の周辺図