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鴉山稲荷神社。川越市仲町の神社

鴉山稲荷神社の概要

鴉山稲荷神社は、川越市仲町にある稲荷神社です。鴉山稲荷神社は、川越城主太田道真(太田道灌の父)が当地を開拓する際に切り崩した六つの塚に稲荷社を祀ったといい、六つの塚の稲荷社だから烏山稲荷と称したとも、六つの稲荷社を当社へ合祀したから烏山稲荷と称したともいいます。

鴉山稲荷神社
鴉山稲荷神社の概要
社号 鴉山稲荷神社
祭神 倉稲魂命
相殿 素盞嗚尊・誉田別命・天児屋根命・猿田彦命
境内社 -
祭日 -
住所 川越市仲町10-11
備考 -



鴉山稲荷神社の由緒

鴉山稲荷神社は、太田道灌が河越城を築城の際に当地を伐採した際に小祠を発掘したことから、文明元年社殿を建立、太田道真の子僧正国院清須を別当としたといいます。

新編武蔵風土記稿による鴉山稲荷神社の由緒

(志義町)稲荷社
土俗に烏山親塚稲荷と號す、文正三年四月十七日、別當正國院清須がえらびし縁起を閲るに、文正元年太田資清入道道真川越城を築き、矢倉を作らんとして足代をかけ、自ら登りて四方をのぞみしが、茫々たる原野にして目にささゆる陰もなかりしに、ただ一叢の森ありて、富嶽の望をささえたるをうらみ、人をして其森樹を剪取らしむ、これ當社の地域なり、然るに森の中に石の小祠ありて、内に小祠あり、首尾の口に丸き鑽あり、これ守護の神符などを納るるものにやあらんと、携来りて道真に示す、道真これをとりて、首尾の金具を去りて見るに、筒は竹にて造りたるものにて、上をつつみたる錦大抵朽はてて、金具の下にわつかのこれり、さて筒に題して願主河嶋武盛とあり、内に蔵めし書あり、其文に、
源家勝平怨敵退散、子孫長榮、大願成就守護、
承安三癸巳天四月十七日
五社大明神 神主 神谷土佐守
阿波禮阿那於茂志呂、阿那多能志、阿佐憩劔憩住、
素盞嗚尊、祇園大明神
誉田別尊、八幡大神宮
倉稲魂尊、稲荷大明神
天兒屋根尊、春日大明神
猿田彦尊、白鬚大明神
宮川の清き流にいさみして、思ひしことの叶はぬはなし、大麻のはらひにあへば身のとがも、悪魔不浄も払ふ追風、千早振あめは木来の葉をわけて、あらぬは人の命なりけり、右の書を道真披見して、これ當城成就の吉兆なりと大に悦び、城普請の間は、城より坤の方へ假の宮をかまへてここに勧請しつねは神酒を供して信心浅からず、營城事畢て後道真おもおへり、この神全く富士山を見んとて森の期を伐し、ゆへに見出したるを以、五社の明神を拝す、且富士は三國に跨れる大山なり、當三國第一の利を得んこと必せりとて、彌崇信せしとなり、此説いぶかしきこともあれど、姑く社傳のままを記す。
末社。金毘羅社。
別當常學院
當山修験なり、社傳を尋るに當社勧請の始に、當所の城主太田道真が子僧正國院清須を別當職とす、當社の縁起は其頃清須が記し置る所と云、其後いつの頃よりか、社家を置て神事を司らしめしが、天和年中社家三宅主馬家産衰へて困窮大方ならず、茲に於て吉見領へ移り住せし故、神職は廢せり、其後再び別當の僧をおく、是今の常學院の祖なりと云。
瑞巌菴(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による鴉山稲荷神社の由緒

烏山稲荷神社<川越市仲町一〇ー一一(川越市字志義)>
蔵造りの街として知られる川越の中心部、仲町に当社は鎮座する。
社記によると、長禄元年、鎌倉管領の命によって河越城築城の任にあたった太田道灌が、城の櫓より四方を眺めたところ南西を持ちがさえぎり、富士山が眺望出来ないために、これを伐採させたところ、盛の中に石祠があり、「源家勝平 怨敵退散 子孫繁栄 大願成就 承安三年癸巳天四月一七日 河島武盛」と記した祈願文が発見された。道灌はこれを築城の吉兆としてここに仮宮を建て、次いで文明元年社殿を建立した。以来、代々城主の信仰厚く、松平斉典の養子斉省の奉納「鴉山祠」の額が現存している。
当社は塚上にあり、烏が群棲していたことにより烏山稲荷と称するという。また、古くは周囲に塚が多く、中でも烏山が大きいので親塚稲荷とも呼ばれる。
主祭神は倉稲魂命、配祀神は素盞嗚尊・誉田別命・天児屋根命・猿田彦命であり、享和元年の『三芳野名勝図会』には、既にこれら五座が見える。
祀職は、「風土記稿」によると、当初は太田道真の子僧正国院清須を別当としたが、いつのころからか神主を置き、天和年間、再び別当寺を置き、これが常学院の祖であると載せているが、同院は今は存在しない。(「埼玉の神社」より)


鴉山稲荷神社の周辺図




埼玉県の霊園

花園むさしの浄苑