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久下戸氷川神社。川越市久下戸の神社、旧村社

久下戸氷川神社の概要

久下戸氷川神社は、川越市久下戸にある氷川神社です。久下戸氷川神社の創建年代等は不詳ながら、大宮氷川神社を勧請して創建、明治四五年に境内社を本殿内に合祀、字薬師の御嶽神社、字杉之本の稲荷神社、字北谷の市杵島神社、字前田の神明神社・稲荷神社・三輪神社、字中方の富士嶽神社、字堤外の諏訪神社を合祀、昭和9年村社に列格したといいます。久下戸氷川神社の算額は市文化財に指定されている他、寛保2年(1742)には富士講山の頂上まで洪水が押し寄せたことから、寛保洪水位標が設置されています。

久下戸氷川神社
久下戸氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚尊
相殿 -
境内社 浅間社、辨天社、獅子宮、御嶽社、諏訪社
祭日 -
住所 川越市久下戸2785
備考 旧村社



久下戸氷川神社の由緒

久下戸氷川神社の創建年代等は不詳ながら、大宮氷川神社を勧請して創建、明治四五年に境内社を本殿内に合祀、字薬師の御嶽神社、字杉之本の稲荷神社、字北谷の市杵島神社、字前田の神明神社・稲荷神社・三輪神社、字中方の富士嶽神社、字堤外の諏訪神社を合祀、昭和9年村社に列格したといいます。

新編武蔵風土記稿による久下戸氷川神社の由緒

(久下戸村)
富士塚。村の東にあり、ここに松樹三株立り、此松に安産を祈れば必験ありなど土人いへり。
氷川社。當村の鎮守なり、観音寺持。
辨天社。
第六天社。塚上に立り。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による久下戸氷川神社の由緒

氷川神社<川越市久下戸二七八五(久下戸字前田)>
当社は川越市の東南端、久下戸に鎮座する。地名は郡家の設置によると思われる。『風土記稿』には「久下戸村或は久下士とも書す」とある。
昭和一七年に刊行された『武蔵国入間郡久下戸氷川神社之考證』には、当社は往古、荒川流域を開拓した出雲系の種族と関係が深く、郡家の崇敬も厚かったであろうと述べている。同書及び『明細帳』には、当社は武蔵国一の宮氷川神社(現大宮市)からの分霊社であると記している。
江戸期は曹洞宗円通山観音寺が管理に当たり、明治初めの神仏分離に際し、同寺は廃寺となった。その後、当社は無格社となったが、昭和九年村社に昇格した。
明治四五年に境内社の市杵島神社・御嶽神社・神明神社・八坂神社・浅間神社・稲荷神社を本殿内に合祀し、更に、字薬師の御嶽神社、字杉之本の稲荷神社、字北谷の市杵島神社、字前田の神明神社・稲荷神社・三輪神社、字中方の富士嶽神社、字堤外の諏訪神社を合祀している。(「埼玉の神社」より)


久下戸氷川神社所蔵の文化財

  • 算額(久下戸、氷川神社)(川越市指定文化財)
  • 寛保洪水位標

算額

文化八年(一八一一)、正月、久下戸の氷川神社に奉納された算額で七三cmX一七〇cm、四問の答と術がみえており、最後の解には開方式が附されている。掲額者は久下戸村の奥貫五平次正定、関根貞六信行、同富蔵有道、沢田金十郎安亮、渋井村の江尻与七高直、古谷本郷の吉崎源蔵之義の六名である。奥貫家は代々久下戸村の名主をつとめ、家名を五平次と称した。正定は別に孫六と唱え、嶺樹軒とも号した。嘉永七年(一八五四)八月二四日、七三歳で没したことが分かっている。算額の伝承は今のところ不明である。(川越市教育委員会掲示より)

寛保洪水位標

当地の偉人奥貫友山翁大水記にある、奥貫家縁側及び氷川社石燈籠を典拠に、川越市教育委員会の実測により、寛保二年(一七四二)大水の洪水位は標高九米五十センチメートル、氷川社境内富士講山の頂上がこれにあたると推定、これを永く後世に伝える為記念の碑を建立する。(久下戸氷川神社氏子会掲示より)

久下戸氷川神社の周辺図




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