鎌足稲荷神社。川越市池辺の神社

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鎌足稲荷神社。開村時に箭弓稲荷神社を勧請

鎌足稲荷神社の概要

鎌足稲荷神社は、川越市池辺にある稲荷神社です。鎌足稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、池辺村の開村時より祀られているといい、松山の箭弓稲荷神社(現東松山市)の分霊を祀ったものだといいます。

鎌足稲荷神社
鎌足稲荷神社の概要
社号 鎌足稲荷神社
祭神 宇迦之御魂大神
相殿 -
境内社 稲荷社
祭日 -
住所 川越市池辺840
備考 -



鎌足稲荷神社の由緒

鎌足稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、池辺村の開村時より祀られているといい、松山の箭弓稲荷神社(現東松山市)の分霊を祀ったものだといいます。

新編武蔵風土記稿による鎌足稲荷神社の由緒

(池邊村)稲荷社
三明院の持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による鎌足稲荷神社の由緒

稲荷神社<川越市池辺八四〇(池辺字南重林宝)>
当社の鎮座する池辺は、入間川右岸に位置する農業地域で、集落を取り囲む様に水田や桑畑が人勝手いる。池辺の名の起こりは、『風土記稿』によれば、その昔、当所に大きな池があり、その傍らを開いて一村をなしたことによるとある。この話が伝える池は、現在は跡形もないが、当地は低地であるため、かつては池があちこちにあった。しかし、後年、耕地整理のために埋め立てられ、今では押堀など、地名にその名残を留めるにすぎない。
この池辺地区の東北端に当社は鎮座しており、保食命を祀る。詳しい由緒は知られていないが、正しくは正一位鎌足稲荷と呼ぶとされ、松山の箭弓稲荷神社(現東松山市)の分霊で、池辺の開村のころから祀られていると伝えられる。
鎮座地の地名を重林宝という。これは社記によれば、正元年中に天台宗最明寺及び七堂をこの地に建立した鎌倉の臣福山某が、当地に老杉が鬱然としていたところから名付けられたもので、以後当社を重林宝鎌足稲荷と号したと記載されている。
本殿は一間社流造りであり、境内には、社殿のほかに神職の控え所とタイゴジョと呼ばれる建物が建っている。祀職は、もと地内の三明院が別当であったが、神仏分離の後は、豊田本の白鬚神社社家の山畑家が務めている。(「埼玉の神社」より)


鎌足稲荷神社の周辺図