医王山東陽寺。春日部市粕壁東にある曹洞宗寺院

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

医王山東陽寺。新西国三十三ヶ所30番

東陽寺の概要

曹洞宗寺院の東陽寺は、医王山と号します。東陽寺の創建年代等は不詳ながら、文明年間(1469-1487)に春日部八幡神社の東隣に創建したと伝えられ、寛永元年(1624)に焼失、寛文2年(1662)当地に再建、僧熊巌が中興開山したと伝えられます。江戸期には新西国三十三ヶ所30番でした。

東陽寺
東陽寺の概要
山号 医王山
院号 -
寺号 東陽寺
住所 春日部市粕壁東2-12-20
宗派 曹洞宗
本尊 -
葬儀・墓地 -
備考 新西国三十三ヶ所30番



東陽寺の縁起

東陽寺の創建年代等は不詳ながら、文明年間(1469-1487)に春日部八幡神社の東隣に創建したと伝えられ、寛永元年(1624)に焼失、寛文2年(1662)当地に再建、僧熊巌が中興開山したと伝えられます。

日光道中粕壁宿めぐり案内板による東陽寺の縁起

新々田とよばれるこの辺りは、宿場のなかでは新興の地だった。東陽寺は、文明年間(一四六九-八七)に春日部八幡神社の東隣に開山したが、寛永元年(一六二四)に焼失し、寛文二年(一六六二)に当地で中興したと伝えられる。松尾芭蕉に随行した弟子曽良の日記に「廿七日夜カスカヘニ泊ル」とあり、元禄二年(一六八九)三月二十七日、芭蕉が「奥の細道」の旅で同寺に宿泊したともいわれている。向かいの源徳寺は、明暦元年(一六五五)に開山したが、元文四年(一七三九)に火災に遭い、故事は不詳である。(日光道中粕壁宿めぐり案内板より)

新編武蔵風土記稿による東陽寺の縁起

(埼玉郡粕壁宿)
東陽寺
禅宗曹洞派、足立郡片柳村萬年寺末医王山と号す。古は大寺なりしが、文禄年中焼失の後衰微せしを、寛永年間熊巌といへる僧再建せり、因て是を中興開山とす、同十九年十月示寂、
鐘楼、萬冶元年鑄造の鐘を掛、
秋葉社
金比羅社
觀音堂(新編武蔵風土記稿より)


東陽寺の周辺図