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宥勝寺。本庄市栗崎にある真言宗智山派寺院

宥勝寺の概要

真言宗智山派寺院の宥勝寺は、西光山無量壽院と号します。宥勝寺は、武蔵七党の児玉党の一族荘小太郎頼家が、一の谷の合戦で戦死、その菩提を弔うため夫人が建仁年間(1201-1204)に創建したといいます。かつては近郷49ヵ寺の末寺を擁していましたが、北条氏と上杉氏の浅見山合戦の戦火のためにより焼失、慶安元年(1648)には寺領10石の御朱印状を拝領、江戸時代には十数ヵ寺の末寺を擁していたといいます。関東八十八ヶ所霊場86番、関東百八地蔵17番、児玉三十三霊場19番札所、彩の国武州路十二支霊場亥年霊場となっています。

宥勝寺
宥勝寺の概要
山号 西光山
院号 無量壽院
寺号 宥勝寺
本尊 不動明王像
住所 本庄市栗崎155
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



宥勝寺の縁起

宥勝寺は、武蔵七党の児玉党の一族荘小太郎頼家が、一の谷の合戦で戦死、その菩提を弔うため夫人が建仁年間(1201-1204)に創建したといいます。かつては近郷49ヵ寺の末寺を擁していましたが、北条氏と上杉氏の浅見山合戦の戦火のためにより焼失、慶安元年(1648)には寺領10石の御朱印状を拝領、江戸時代には十数ヵ寺の末寺を擁していたといいます。

埼玉県・本庄市掲示による宥勝寺の縁起

宥勝寺
宥勝寺は真言宗智山派に属し、京都智積院の末寺で、本尊に不動明王を祀る。
寺伝によると、武蔵七党の一党である児玉党の一族の荘小太郎頼家が、源平合戦で有名な一の谷の合戦において戦死したため、その菩提を弔うために夫人により建仁年間(1201-1204)に建立されたのが開山と伝えられる。境内北側の墓地内に、小太郎頼家の墓と伝えられる古びた五輪塔が現存し、県の指定旧跡になっている。
天文六年(1537)、北条氏と上杉氏の浅見山合戦の戦火のため堂塔を焼失したが、その後の天文二十三年に再建され、当寺宥勝寺は十数ヵ寺の末寺を保有していたと伝えられる。なお、慶安元年(1648)に三代将軍家光より寺領十石の御朱印を与えられた。
また、当寺の南方には、以前西光寺と呼ばれる大がらんが存在した。これは本庄市では数少ない中世寺院跡として埼玉県選定重要遺跡の一つとなっており、現在、西光寺の名は宥勝寺の山号である西光山として、その名ごりを伝えている。(埼玉県・本庄市掲示より)

新編武蔵風土記稿による宥勝寺の縁起

(栗崎村)宥勝寺
新義真言宗、京都聖護院末、西光山無量壽院中道坊と号す、寺領十石の御朱印は慶安元年賜へり、本尊不動は興教大師の作、開山法印良運は建仁二年示寂と、口碑にのみ残れり、当寺は近郷四十九寺の本寺なれど、先年災に罹り記録を失ひたれば総ての事詳ならず。
鐘楼、元禄十六年三月鋳造なり。
金讃神社。是を村内の鎮守とす。弁天社。愛宕社。雷電社。金毘羅社、享和三年の勧請なり。
弥陀堂、本尊は恵心の作。
地蔵堂、古は身馴川の端にありしが、近来ここに移せり。
塔頭。
東光院。古は成就坊と唱へしが、明和年中今の唱となれり、本尊薬師を安ず。
大円坊。是も薬師を本尊とす。(新編武蔵風土記稿より)

宥勝寺のもと末寺


宥勝寺所蔵の文化財

  • 小太郎頼家の墓(県指定旧蹟)
  • 西光寺伽藍跡(埼玉県選定重要遺跡)

宥勝寺の周辺図


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