能仁寺。飯能市飯能にある曹洞宗寺院、丹冶一族の菩提寺

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能仁寺。中山家勝が創建、丹冶一族の菩提寺

能仁寺の概要

曹洞宗寺院の能仁寺は、武陽山と号します。中山家勝が曹洞宗通幻派の名僧、斧屋文達師を招いて文亀年間(1501-1503)に創建したと伝えられ、中山家勝の子家範が寺院としての寺容を整えたといわれます。天正19年5石の朱印状を拝領、宝永2年(1705)には50石の朱印状を拝領し、末寺20ヶ寺を擁する中本寺格の寺院でした。飯能戦争のときに振武軍の本陣となったため本堂をはじめ悉く焼失しましたが、本堂は昭和11年に再建しています。

能仁寺
能仁寺の概要
山号 武陽山
院号 -
寺号 能仁寺
本尊 蘆遮那仏像
住所 飯能市飯能1329
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 高麗三十三ヶ所霊場12、13番、武蔵野三十三観音霊場24番



能仁寺の縁起

能仁寺は、中山家勝が曹洞宗通幻派の名僧、斧屋文達師を招いて文亀年間(1501-1503)に創建したと伝えられ、中山家勝の子家範が寺院としての寺容を整えたといわれます。天正19年5石の朱印状を拝領、宝永2年(1705)には50石の朱印状を拝領し、末寺20ヶ寺を擁する中本寺格の寺院でした。慶應4年5月23日の飯能戦争のときに振武軍の本陣となったため観音寺智観寺広渡寺などと共に兵火に罹り、昭和11年に本堂再建を果たしました。

新編武蔵風土記稿による能仁寺の縁起

武陽山と号す。文亀年中斧屋文達禅師開山開祖にして、弘治3年丁巳3月晦日寂す。開基は即ち今の檀那黒田豊前守の先祖、丹冶山中勘解由左衛門尉直勝、(一に家勝に作る)法謚は能仁寺殿大年全椿大居士と称す。天正元癸酉7月25日卒す。二世格翁桂逸禅師に至り、初て越生の龍隠寺に属す。三世材室天良禅師、四世格外玄逸禅師に至るまで、勅特賜禅師号。天正19年寺領5石の御朱印を賜ふ。元禄10年常憲院殿の御世より、独礼の命を蒙り、同13年寺社奉行、及永平天梁禅師に請て叢林となる。此寺初め5石の御朱印なりしが、寛永2年改て十の字を加へて、50石の御文面を賜はる。住僧もまた乗輿の格となる。末寺20ヶ寺あり、其余つまびらかなることは下に書せる寺記に見えたり。文中に此寺創建の事実、寺記には家範府君と記し、鐘銘には家勝府君と勒す。其文の異なる所以を尋るに家勝府君創建とするものは、国家の珠恩を蒙り、創建の功徳なるをもて恣徳を其先考に推し及ぼす。孝思の厚きゆへなりとぞ云。
武州能仁寺記(寺記中略)
惣門。山門、武陽山の三字を扁す。これも前天台座主一品公弁親王書。元禄10年8月16日とあり、本尊寶冠釈迦、脇士は文殊・普賢の二尊なり。
方丈。小方丈。庫裡。
禅堂、本尊出山釈迦木の立像にて、長2尺2寸。弘法大師の作也と云。
江湖寮、本尊阿弥陀。
衆寮、本尊楊柳観音。
首座寮。
霊座、黒田氏歴世の位牌あり。
鐘楼、寛永年中鋳造せる鐘なり。(鐘銘中略)
寺寶。
伽羅木観音一体。金襴の袈裟一顆、明板薄紙。摺四書小本五冊、論語には全編常憲院殿手づからあそばせし朱點あり。以上の三品は13世泰州がとき賜はりしと云。
白山社。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県掲示による能仁寺の縁起

武楊山能仁寺は曹洞宗の寺院で、文亀年間(1501-1503)飯能の代表的武人、中山家勝が曹洞宗通幻派の名僧、斧屋文達師を招いて開いた禅道場がはじまりといわれ、また中山家勝の子家範が本格的な寺院として創立したものといわれている。
家範の子照守、信吉の兄弟は徳川氏に仕え大いに繁栄し、家康は当寺に香華料を寄進して保護を加えた。
その後、数代を経て中山直張の子直邦が黒田氏をつぎ五代将軍綱吉公に仕えて信任を得、以来当寺は厚く待遇され、元禄10年(1697)8月25日前天台座主一品公弁親王の額字を賜った。現在本堂に掲げてある武陽山の額がそれである。
宝永2年(1705)12月27日、綱吉より50石の朱印状を賜り、当寺は丹冶一族の菩提寺として栄え、末寺も20ヶ寺を数えたという。
慶應4年5月23日の飯能戦争のときに振武軍の本陣となったために焼失し、現本堂は、昭和11年能仁寺29世萩野活道師が再建した。(埼玉県掲示より)

飯能市史資料編による能仁寺の縁起

この寺に残されている「武州能仁寺記」によると、中山家範がその父君家勝の冥福を祈るため創建したとある。また「能仁寺鐘銘并序」には家勝その人の創建になるものだと記されている。
いずれにしても中山家に関係あるもので以後中山家の一統である黒田家を大檀那として、この地方曹洞宗の中心的な寺であった。(飯能市史資料編より)


能仁寺のもと末寺


能仁寺所蔵の文化財

  • 池泉鑑賞式蓬莱庭園(飯能市指定文化財)
  • 中山勘解由三代の墓(飯能市指定文化財)

能仁寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」