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河原神社。行田市南河原の神社、旧南河原村の鎮守、旧村社

河原神社の概要

河原神社は、行田市南河原にある神社です。河原神社の創建年代は不詳ですが、入間郡勝呂郷塚越(坂戸市)の住吉を当所に勧請して応保元年(1161)に創建したといい、勝呂明神社と号していました。慶安2年(1649)には江戸幕府より社領4石5斗の御朱印を拝領、南河原村の鎮守となっていました。

河原神社
河原神社の概要
社号 河原神社
祭神 白山比咩大神
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 行田市南河原386
備考 旧南河原村鎮守、旧村社



河原神社の由緒

河原神社の創建年代は不詳ですが、入間郡勝呂郷塚越(旧地名)の住吉を当所に勧請して応保元年(1161)に創建したといい、勝呂明神社と号していました。慶安2年(1649)には江戸幕府より社領4石5斗の御朱印を拝領、南河原村の鎮守となっていました。明治2年に河原神社と改称、村社に列格しました。また明治41年には、字屋敷の浅間社・伊奈利社、字新屋敷の八幡社・一目蓮社・三峰社・伊奈利社、字諏訪ノ宮の諏訪社・伊奈利社・塞神社、字町の天神社・伊奈利社・八坂社、三峰社・金山社、字西浦の伊奈利社、字光二ノ町の白山社・八坂社の計17社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による河原神社の由緒

勝呂明神社
村の鎮守なり。慶安2年10月17日社領4石5斗の御朱印を賜ふ。当社は入間郡勝呂郷塚越村の住吉を当所に勧請せしにより、その地名を取勝呂を以て社号とせる由を傳へり。
別当本覚院。当山修験榛澤郡黒田村萬光寺の配下。開山は清誉とのみ傳へ、寂年をば失へり。本尊不動。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による河原神社の由緒

当地は利根川が運ぶ肥沃な土壌を背景に古くから開け、私市党河原氏が兄弟で領有し、兄の領地を南河原、弟の方を北河原と呼ぶという。
当社は社記によると、応保元年(1161)平賀冠者義信が武蔵守に任ぜられ、関東へ下向し、河原郷(南河原)に城廓を築いて居住した折に、先祖以来信仰していた住吉の神を祀るために、入間郡勝呂郷(現坂戸市塚越)の住吉明神の分霊をこの地に勧請し、勝呂明神と称したことに始まるという。
下って、慶安2年、4石5斗の朱印を受け、明治2年に社名を河原神社と改めて村社となる。同41年には、字屋敷の浅間社・伊奈利社、字新屋敷の八幡社・一目蓮社・三峰社・伊奈利社、字諏訪ノ宮の諏訪社・伊奈利社・塞神社、字町の天神社・伊奈利社・八坂社、三峰社・金山社、字西浦の伊奈利社、字光二ノ町の白山社・八坂社の計17社が合祀された。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


河原神社所蔵の文化財

  • 河原神社建長2年銘板碑
  • 在家ささら(無形民俗文化財)

河原神社建長2年銘板碑

板碑は鎌倉~室町時代、追善や逆修供養のために造立された石造物で、石材は荒川上流の長瀞周辺に算出する緑泥片岩。
この板碑は南河原最古であり、古墳時代の石棺石材の転用を示す初例である。
上半分が欠損しているが、基部に棺を直角に組むためのホゾが残っている。
(現存高118、上幅57、下幅61cm)(境内掲示より)


河原神社の周辺図


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