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治子神社。行田市下中条の神社、旧下中条村鎮守

治子神社の概要

治子神社は、行田市下中条にある神社です。治子神社の創建年代は不詳ですが、成田下総守長安が忍城に入った時、城の守護神として埼玉の浅間神社(前玉神社の境内社)と当社を創建したと伝えられます。江戸時代には治子明神社と称し、当地旧下中条村の鎮守であったといいます。

治子神社
治子神社の概要
社号 治子神社
祭神 天手長雄命
相殿 -
境内社 宇賀神、水天宮、諏訪社、白山社、天神社、不二山、八坂社、浅間神社、産泰社、御嶽神社、塞神、大黒社
祭日 -
住所 行田市下中条1655
備考 旧下中条村鎮守、行田八幡神社の兼務社



治子神社の由緒

治子神社の創建年代は不詳ですが、成田下総守長安が忍城に入った時、城の守護神として埼玉の浅間神社(前玉神社の境内社)と当社を創建したと伝えられます。江戸時代には治子明神社と称し、当地旧下中条村の鎮守であったといいます。

新編武蔵風土記稿による治子神社の由緒

(下中條村)冶子明神社
村の鎮守なり。祭神は天手長雄命と云。
別当金蔵院。小角山と号す。本山修験、幸手不動院配下、開山秀範慶長11年11月化す。本尊不動を安ず。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による治子神社の由緒

口碑によると、当社は鎌倉期成田下総守長安が忍城に入った時、城の守護神として埼玉の浅間神社(前玉神社の境内社)と当社を祀り、祀職に長安の叔父を当てた。この子孫が二軒に分かれ修験となり、一軒は象三宝と称し浅間
神社の別当となり、もう一軒は象賢坊で当社の別当成田金蔵院となったという。
旧名主長谷川家文書を写したという境内碑文には「治子大明神は天照大神の末子にして、応永8年鎌倉郷長谷荘より遷座す。元は利根川縁に有りしが天正18年現在地に移し寛政年中本殿改築す。又当社の獅子舞は天明年間利根川大洪水の折、獅子頭漂着したに始まる」とある。
また、忍城主成田繁康が下中條村へ隠居した折、屋敷神として勧請するともいう。「風土記稿」には「治子明神社 村の鎮守なり、祭神は天手長雄命と云。別当金蔵院小角山と号す、本山修験」とある。一方「明細帳」による祭神は治由保命である。
内陣には木造寄せ木造り漆箔玉眼嵌入聖観音像が安置される。これは、像高85cmで秀作である。
当地は利根川の堤防がよく切れる所であり「オッキリ組」と古くから呼ばれたが、昭和41年利根大堰建設に当たり改修が行われ、社地を500mほど南に移転し現在地に社を移した。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


治子神社所蔵の文化財

  • 中條のササラ(行田市無形民俗文化財)

治子神社の周辺図


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