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宝性寺。深谷市武蔵野にある真言宗豊山派寺院

宝性寺の概要

真言宗豊山派寺院の宝性寺は、魔尼山虚空蔵院と号します。宝性寺の創建年代は不詳ながら、江戸時代には魔尼山虚空蔵院宝性寺と号していたといいます。

宝性寺
宝性寺の概要
山号 魔尼山
院号 虚空蔵院
寺号 宝性寺
住所 深谷市武蔵野521
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



宝性寺の縁起

宝性寺の創建年代は不詳ながら、江戸時代には魔尼山虚空蔵院宝性寺と号していたといいます。

新編武蔵風土記稿による宝性寺の縁起

(飯塚村)蓮薹寺
同宗にて本郷村東陽寺の末、魔尼山虚空蔵院と云、本尊虚空蔵を安す(新編武蔵風土記稿より)

境内石碑による宝性寺の縁起

当山は摩尼山大虚空蔵院宝性寺と稱す。本尊は虚空蔵菩薩、寺の開山及び開基等の沿革は不詳である。真言宗豊山派に所属、総本山に奈良県桜井市初瀬町長谷寺(西国三十三札所第八番霊場)である。当山は、明治十年火難に遭い、以来堂宇なき寺であった。
大正三年現岡部町大字本郷東陽寺(宝性寺本寺)住職、紺野天真、当山兼務住職に晋山、伽藍なきを憂い、檀信徒と協議の結果、庫裏兼用の假本堂を建立す。才月は流れ七十有余年、その間修理を加えつきたりしが、時あたかも真言宗、中興の祖と仰がれる興教大師覚バン上人八五〇年御遠忌正当年を記念して本堂改築の聲檀信徒中より起る。然しながら当山は昭和二十年(一九四五年)大東亜戦争に敗れ、連合軍占領政策による農地改革の実施により、寺の田畑平地林は全部解放となり、寺有財産は皆無となる。寺有金もなく、二十一戸の談と数をもってしては堂宇の建立は至難と考えられていた。
有難いことに、仏心檀信徒各位の心の結集を得て、多額の浄財の寄進を以て、本堂建立が檀信徒総会に於て決定された。即刻建設委員会を設置、遠近の寺院を多数見学研究を重ねた上、平成四年九月十日、深谷市大谷武蔵製材所有限会社(社長高野俊征)に契約金壱千七百八拾六萬圓を以て発注、平成五年四月三十日竣工、同年六月十二日、落慶法要勤修、堂内荘厳具及びその他諸経費を含め総額弐千参百四拾萬圓也。(境内石碑より)


宝性寺の周辺図


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