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常興山国済寺。深谷市国済寺にある臨済宗南禅寺派寺院

国済寺の概要

臨済宗南禅寺派寺院の国済寺は、常興山と号します。国済寺は、奥州管領上杉憲英(法名国済寺殿大宗常興大居士)が開基となり、峻翁令山禅師を招請して開山とし、上杉憲英の館であった庁鼻和城南側に康応2年(1390)創建したといいます。上杉憲英は、上杉憲房の嫡民部大輔憲顕の六男で、当初蔵人其後兵部少輔・蔵人大夫と称し、新田氏への抑えとして深谷に館(城)を構え、奥州管領となり陸奥守と号し、深谷の祖となった人物です。一方峻翁令山禅師は、秩父郡に生まれ、寂後に勅号(天皇よりの法名命名)法光円明国師を賜った高僧です。徳川家康が関東入国後の天正19年(1590)には寺領30石の御朱印状を拝領しています。

国済寺
国済寺の概要
山号 常興山
院号 -
寺号 国済寺
本尊 釈迦如来像
住所 深谷市国済寺521-1
宗派 臨済宗南禅寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



国済寺の縁起

国済寺は、奥州管領上杉憲英(法名国済寺殿大宗常興大居士)が開基となり、峻翁令山禅師を招請して開山とし、上杉憲英の館であった庁鼻和城南側に康応2年(1390)創建したといいます。上杉憲英は、上杉憲房の嫡民部大輔憲顕の六男で、当初蔵人其後兵部少輔・蔵人大夫と称し、新田氏への抑えとして深谷に館(城)を構え、奥州管領となり陸奥守と号し、深谷の祖となった人物です。徳川家康が関東入国後の天正19年(1590)には寺領30石の御朱印状を拝領しています。峻翁令山禅師は武蔵國秩父郡出身で寂後に勅号(天皇よりの法名命名)を賜り法光円明国師と呼ばれた高僧名僧で、本山兜率山廣園寺、児玉郡威音山光厳寺、渋谷古碧山龍巌寺などを開山しています。

新編武蔵風土記稿による国済寺の縁起

(国済寺村)国済寺
禅宗臨済派、京都南禅寺末、常興山と号す。寺領三十石の御朱印は、天正十九年附せらる。相傳ふ当寺は、深谷城主上杉憲英康応二年開建し、峻翁令山禅師を請して始祖とせり。此僧は秩父郡の人なり。応永十五年三月六日化し勅して法光円明禅師と謚す。事蹟は「本朝高祖傳」「扶桑禅林続僧実傳」等にも出、又多摩郡山田村高園寺(註:兜率山廣園寺)の條にも載たり。「高僧傳」には開基上杉憲英を房に書し、廣園寺を院に作るは誤なり。憲英の法名卒年は墳墓の條に出せり。かかる佛刹なれど中古回禄にかかり、古記什宝ことごとく烏有となり。本堂さへ今に再興に及ばず。本尊釈迦を安ぜり。
稲荷社。山王荒神合社。
鐘楼。これもいまだ再建ならず。銘文中に康応二年上杉憲英新建の時、共に鋳し鐘なりしが寛文十一年再鋳せしことを彫れり。
楼門。楼上に中古まで、十六羅漢を安ぜしが、像は今廃せり。
表門、裏門。
下馬札二ヵ所。各前の門外に建つ。
上杉憲英墓。本堂の西にて角の五輪なり。国済寺殿大宗常興大居士、応永十一年甲申八月二日と彫れり。当寺号・山号はこの法謚の字を用ひしものなり。榛澤郡人見村昌福寺に蔵する上杉家譜によるに、憲英始は蔵人其後兵部少輔、又蔵人大夫と称し、後奥州の管領となり、陸奥守と号すと云。上杉憲房の嫡民部大輔憲顕の六男、憲英深谷の祖と見え、其余は傳へに同じければ略す。
塔頭。
三光庵、密牧庵、雲龍庵、自勝院、徳勝院。以上元境内にありしが、後年廃して未だ再建ならず。(新編武蔵風土記稿より)


国済寺所蔵の文化財

  • 木造峻翁令山禅師像(埼玉県指定文化財)
  • 上杉憲英墓(埼玉県指定旧跡)
  • 国済寺黒門(深谷市指定文化財)
  • 国済寺三門(深谷市指定文化財)
  • 法燈円明国師頂相(深谷市指定文化財)
  • 宝冠釈迦座像(深谷市指定文化財)
  • 膳及び椀(深谷市指定文化財)
  • 庁鼻和城跡(深谷市指定文化財)
  • 上杉氏歴代墓(深谷市指定文化財)

国済寺の周辺図


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