清心寺。深谷市萱場にある浄土宗寺院

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石流山清心寺。深谷市萱場にある浄土宗寺院

清心寺の概要

浄土宗寺院の清心寺は、石流山八幡院と号します。清心寺は、萬誉玄仙(慶長10年1605年寂)が開山、上杉氏の老臣岡谷加賀守清英(法名皎月院円誉清心居士、天正12年1584年寂)が開基となり、天文18年(1549)に創建したといいます。当寺には、源平一ノ谷合戦で平忠度を討ち取った岡部六弥太忠澄が、平忠度を弔ったという供養塚があります。

清心寺
清心寺の概要
山号 石流山
院号 八幡院
寺号 清心寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 深谷市萱場441
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



清心寺の縁起

清心寺は、萬誉玄仙(慶長10年1605年寂)が開山、上杉氏の老臣岡谷加賀守清英(法名皎月院円誉清心居士、天正12年1584年寂)が開基となり、天文18年(1549)に創建したといいます。当寺には、源平一ノ谷合戦で平忠度を討ち取った岡部六弥太忠澄が、平忠度を弔ったという供養塚があります。

新編武蔵風土記稿による清心寺の縁起

(萱場村)清心寺
浄土宗、下総国岡田郡飯沼村弘経寺末、石流山八幡院と号す。寺領八石は慶安二年御朱印を附らる。当寺の起立は天文十八年二月なり。開山萬誉玄仙慶長十年正月七日寂す。開基は上杉氏の老臣岡谷加賀守清英、法名は皎月院円誉清心居士、天正十二年十一月八日卒す。按に谷野村皎心寺もこの人の開基にして、そこの傳へには、元亀年中の卒といひ又過去帳に加賀守法名安仲皎心庵主十五日とも記せり。かくまちまちの傳へあるが上に、当寺に傳る所は卒年も法謚も差へり。いづれが正しきや、本尊弥陀を安ぜり。
箱根権現社。
束幣の像にて春日の作なり。相傳ふ此像は上杉謙信より、岡谷かが守に附属せしと云。
鐘楼。寛政二年再鋳の鐘をかく。
忠度桜。本堂の艮にあり。梢まで高二尺ばかり。地づらより四本に分れたり。四本を合すれば一囲みに余りたれど、分れし一枝は僅に二尺巡りにすぎず、花は薄紅にてしへなく、中に葉二枚ありと云。此木の下に忠度が墓とて古き五輪の塔立り。高三尺許、台石に梵字を彫付たり。又側に青き板碑一基あれど、これも阿字のみ彫れり。相傳ふ岡部六弥太忠澄薩摩守忠度を討し、後其菩提の為に当所に墓を立、此桜を植しと云、されど其頃植たる木とも見えず、後人忠度が桜花の和歌の意により植しものなるべし。(新編武蔵風土記稿より)


清心寺所蔵の文化財

  • 板石塔婆(深谷市指定文化財)
  • 平忠度供養塔(深谷市指定文化財)

清心寺の周辺図