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堤崎愛宕神社。上尾市堤崎の神社

堤崎愛宕神社の概要

堤崎愛宕神社は、上尾市堤崎にある神社です。堤崎愛宕神社は、元禄10年(1697)頃に悪病が流行、これを鎮めるために地蔵院内に創祀したと伝えられ、地蔵院廃寺のち、稲荷社三社・熊野社を合祀、明治6年村社に列格したといいます。

堤崎愛宕神社
堤崎愛宕神社の概要
社号 愛宕神社
祭神 軻遇突知命
相殿 倉稲魂命
境内社 八雲社、疱瘡社
祭日 7月14日八雲社祭礼、例祭10月15日
住所 上尾市堤崎329
備考 -



堤崎愛宕神社の由緒

堤崎愛宕神社は、元禄10年(1697)頃に悪病が流行、これを鎮めるために地蔵院内に創祀したと伝えられ、地蔵院廃寺のち、稲荷社三社・熊野社を合祀、明治6年村社に列格したといいます。

新編武蔵風土記稿による堤崎愛宕神社の由緒

(堤崎村)
稲荷社三宇
共に村民の持
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熊野社
持同じ、社は破壊して未だ再建せず。
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地蔵院
禅宗曹洞派、中釘村永昌寺末、寶珠山と號す、開山を一線斎と云、明暦三年四月朔日示寂す、本尊は地蔵の坐像を安置せり。
十王堂
愛宕社。勝軍地蔵を安ず、是は加州大聖寺の禅苗和尚と云が刻める所なり、此僧は近来の人なればことに彫刻にたくみなりといへり。(新編武蔵風土記稿より)

「上尾の神社・寺院」による堤崎愛宕神社の由緒

堤崎村は天正の末徳川氏の有となり、代官が所轄した。寛永2年(1625)阿部備中守の領地となり、阿部対馬守天和元年(1681)代官に復す、と記録あり。神社・仏寺等が記されているのでそのころ鎮座ありしと思われる。(社伝)(「上尾の神社・寺院」より)

「埼玉の神社」による堤崎愛宕神社の由緒

愛宕神社<上尾市堤崎三二九(堤崎字西谷)>
当社は、社伝によると、元禄十年(一六九七)のころ、村内に悪病が流行した折、これを鎮めるために創祀したものであるという。また、『風土記稿』堤崎村の項には、当社は地蔵院の境内社として載り、「愛宕社 勝軍地蔵を安ず、是は加州大聖寺の禅苗和尚と云が刻める所なり、此僧は近来の人なればことに彫刻にたくみなりといへり」とある。
地蔵院は、宝珠山と号した曹洞宗の寺院で、開山と伝わる一線斎は明暦三年(一六五七)四月に示寂している。神仏分離に伴い、明治五年に廃寺となり、現在、堤崎自治会館前に建つ地蔵堂(「本尊様」と呼ぶ)の中に、地蔵尊坐像が、閻魔王像・大日如来像と共に納められている。現在、当社の神楽殿に掛かる、消防の半鐘として使用されている鐘には「武州足立郡堤崎村 本山永昌現住百川朝叟代 宝珠山地蔵院什物 世話人安藤善右衛門 天保十二辛丑年(一八四一)十一月吉祥日」と刻まれており、往時を偲ばせる。
当社は、明治初年に稲荷社三社、熊野社を合祀し、同六年四月に村社となった。
昭和三十六年、旧来の社殿の傷みが著しかったため、氏子全員の協力により本殿・拝殿を新築した。(「埼玉の神社」より)


堤崎愛宕神社所蔵の文化財

  • 堤崎の祭りばやし(上尾市指定無形民俗文化財)

堤崎の祭りばやし

上尾市やその周辺地域には、江戸の神田ばやし系統の祭りばやしが伝承されており、いずれも大太鼓1人、小太鼓2人、すり鉦1人、笛1人の5人1組で編成されている。
堤崎の祭りばやしは、神田ばやしの系統の一つである木ノ下流祭りばやしをもとに、明治時代の初めに堤崎の吉沢菊次郎が手を加えて編み出したと伝えられている。独自の流派として形成された堤崎流のはやしは、市内西部や川越地方の祭りばやしの中心的存在の一つとして、市内では畔吉、中新井、平方新田などに伝授されている。演奏曲目には、屋台、鎌倉、四丁目、神田丸、昇殿、宮昇殿、岡崎、数え歌、子守唄があり、付属機能として、獅子やひょっとこなど、神楽の面芝居のような寸劇もある。
現在、堤崎の祭りばやしは、七月一四日に近い日曜日に行われる堤崎の天王様などで上演されている。また、堤崎地区では山車を1基所有しており、この山車の上で演奏することも可能である。(上尾市教育委員会掲示より)

堤崎愛宕神社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)