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瓦葺氷川神社。上尾市瓦葺の神社

瓦葺氷川神社の概要

瓦葺氷川神社は、上尾市瓦葺にある神社です。瓦葺氷川神社は、武蔵一宮を勧請して永正3年(1506)に創建、江戸期には上瓦葺村の鎮守だったといいます。明治6年村社に列格、明治41年無格社の神明社・天神社の両社と神明社の境内にあった荒神社を合祀したといいます。

瓦葺氷川神社
瓦葺氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 稲荷社・石神社、三島社・鹿島社、天満宮
祭日 -
住所 上尾市瓦葺1035
備考 -



瓦葺氷川神社の由緒

瓦葺氷川神社は、武蔵一宮を勧請して永正3年(1506)に創建、江戸期には上瓦葺村の鎮守だったといいます。明治6年村社に列格、明治41年無格社の神明社・天神社の両社と神明社の境内にあった荒神社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による瓦葺氷川神社の由緒

(上瓦葺村)
氷川社
村の鎮守なり。
末社。稲荷社、石荒神、疱瘡神ノ二神合祀、三島社、守廣社。
神明社
末社。稲荷社、第六天社
天神社
山王社
以上の社みな村民の持なり。 (新編武蔵風土記稿より)

「上尾の神社・寺院」による瓦葺氷川神社の由緒

永正3年(1506)8月10日武蔵一の宮を遷すという(「武蔵国郡村誌」)。明治41年(1908)同大字中の神明社、荒神社、天神社を合祀。(「上尾の神社・寺院」より)

「埼玉の神社」による瓦葺氷川神社の由緒

氷川神社<上尾市瓦葺一〇二五-一(瓦葺字氷川脇)>
瓦葺きは、元は一村であったが、正保から元禄のころ(一六四四-一七〇四)にかけて上瓦葺・下瓦葺・元瓦葺の三か村に分村した。当社は、そのうちの上瓦葺村の鎮守として祀られてきた神社であり、その創建については、『郡村誌』に「永正三年(一五〇六)八月十日武蔵一宮を遷すと云」と伝える。また、当社は明治六年に村社になったため、同四十一年には政府の合祀政策に従って地内にあった無格社の神明社・天神社の両社と神明社の境内にあった荒神社を合祀した。
境内周辺はかつては一面の畑で、祭礼日には当社の幟が岩槻からも見えたというほどであった。しかし、近年では周囲にマンションや店舗などの建物が増え、参道の両脇に鬱蒼と茂っていた杉の古木も昭和五十三年ごろには全て枯死してしまったため、境内の雰囲気は随分変わってしまった。昭和五十五年には本殿の修復及び拝殿の再建や末社上屋の新築など、境内の大整備が行われたが、その際、拝殿の腰板や天井裏の用材には、最後まで残っていた杉の古木の根元の部分を製材したものを利用した。
また、平成二年には、「地元に天神様を」という氏子や崇敬者の要望に答えて京都の北野天満宮から分霊を受けて境内に天満宮を創建した。この天満宮は、「学問の神様」として崇敬され、受験シーズンには特に参詣者が多い。(「埼玉の神社」より)


瓦葺氷川神社所蔵の文化財

  • 力石

力石

「奉納 力石さん住〆目 瓦葺村叶」
起源と歴史
力石の存在が確証されるのは、十六世紀に作られた「上杉本洛中洛外図屏風」で、弁慶石の銘を持つ力石が描かれている。また、一六〇三年の日葡辞書に力石の項があり「力試しをする石」とされている。江戸時代の連歌に「文治二年の力石をもつ」という句があり、おそらく文治二年(一一八六年)の銘か言い伝えがある力石があったのであろう。現存する力石に刻まれた年としては、寛永九年(一六三二年)が知られているかぎりもっとも古い。江戸時代から明治時代にかけては、力石を用いた力試しが日本全国の村や町でごく普通に行われていた。個人が体を鍛えるために行ったり、集団で互いの力を競いあったりした。神社の祭りで出し物の一つとして力試しがなされることもあった。
石の形は表面が滑らかな楕円形が多い。滑らかな石は持ち上げにくいが、体に傷をつけずにすむ。ほとんどの力石は六〇キログラムより重い。米俵より軽くてはわざわざ石を用意する意味がないという事であるらしい。上限は様々で、中には三〇〇キロに達するものもある。あまりに重い石は一人で持ち上げることは不可能だが、それはそれで別の挑戦する方法がある。(境内掲示より)

瓦葺氷川神社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)