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長遠寺|大田区南馬込にある真言宗智山派寺院、馬込不動

長遠寺の概要

真言宗智山派寺院の長遠寺は、海岳山大乗院と号します。長遠寺は、宥尊上人が馬込邑字堂寺の地に天仁元年(1108年)草創、文亀二年(1502年)当地に移転快慶法印が元禄年間(1688-1704)に中興して檀林寺格としたといいます。御府内八十八ヶ所霊場8番札所、玉川八十八ヶ所霊場72番札所です。

長遠寺
長遠寺の概要
山号 海岳山
院号 大乗院
寺号 長遠寺
住所 大田区南馬込5-2-10
本尊 不動明王
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 檀家の方のみ
備考 御府内八十八ヶ所霊場8番札所、玉川八十八ヶ所霊場72番札所、馬込不動、もと馬込八幡神社湯殿神社の別当



長遠寺の縁起

長遠寺は、宥尊上人が馬込邑字堂寺の地に天仁元年(1108年)草創、文亀二年(1502年)当地に移転快慶法印が元禄年間(1688-1704)に中興して檀林寺格としたといいます。

「大田区の寺院」による長遠寺の縁起

寺伝によれば、天仁元年(1108)宥尊の草創で、馬込村字堂寺にあったが、建武年間(1334-38)に兵火で堂宇を失って衰えた。その後文亀2年(1502)現在地に移り、元禄年間(1668-1704)快慶によって諸堂が修復された。現存の本堂は文久元年(1861)に宥円が再建したもの。明治初年までは馬込八幡神社など12社の別当を勤め、また大井来福寺以下9寺を末寺としていた。なお現在内陣に合祀している十一面観音は、もと目黒行人坂光雲寺の本尊で、神亀元年(724)行基(668-49)の作といわれ、同寺が明治初年に廃寺されるにおよんで当寺に移された。
「新編武蔵風土記稿」には村の旧記に定海という僧が、当寺を草創して後、元弘2年(1332)に寂した、と見えるからこの人が開山であろう。
いま寺で開山としているのは定尊である。この僧の事暦や寂年を伝えていないので、いつの頃とは言えないが、中興の僧であろうか。のちに元禄年間快慶が住持した頃、当寺を再興して檀林寺格としたので、この人を中興開基しているとある。(「大田区の寺院」より)

「大田区の寺院」による長遠寺の縁起

(馬込村八幡神社)別當長遠寺
除地六畝、社地の北に隣れり新義真言宗、山城國醍醐三寶院の末、海岳山大乗院と號す、村の舊記に定海と云僧、當寺を草創して後元弘二年に寂せりと見ゆ。されば此人開山なるべし。今寺にて開山とするは定尊法印なり、此法印其事歴寂年を傳へざれば、何の頃とも云がたけれど、思ふに中興の僧なるにや後元禄の頃快慶法印と云僧の住し時、當寺を興起して檀林寺格とせしにより、今や此法印を中興開基とす、客殿六間四尺餘に八間半、本尊不動尊の座像を安ず、門は客殿の正面にあり、海岳山の三字を扁す。
鐘楼。九尺四方鐘に銘あり、其末に延亨四年と彫る、全文は考證に益なければ略せり。(「大田区の寺院」より)


長遠寺所蔵の文化財

  • 十一面観音像(大田区指定有形文化財)

長遠寺の旧末寺

長遠寺は、明治初年までは馬込八幡神社など12社の別当を勤め、また大井来福寺以下9寺の末寺を擁していました。



長遠寺の周辺図




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