薭田神社|大田区蒲田の神社

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薭田神社|僧行基が創建、日蓮上人開眼の伝承、延喜式式内社、旧郷社

薭田神社の概要

薭田神社は、大田区蒲田にある神社です。薭田神社は、延喜式に記載されている「武蔵国荏原郡薭田社」と比定されています。和銅2年(709)僧行基が天照、八幡、春日の三神体を造り、薭田神社を創建、その後日蓮上人が開眼したと伝えられています。寛文の頃より栄林寺が別当寺となっていましたが、明治維新後分離、郷社に列格していました。

薭田神社
薭田神社の概要
社号 薭田神社
祭神 誉田別命
相殿 -
境内社 天祖神社、稲荷神社、三十番神社、薬祖神社
祭日 例祭日9月15日
住所 大田区蒲田3-2-10
備考 旧延喜式内社、旧郷社、元別当:栄林寺蒲田八幡神社の兼務社



薭田神社の由緒

薭田神社は、延喜式に記載されている「武蔵国荏原郡薭田社」と比定されています。和銅2年(709)僧行基が天照、八幡、春日の三神体を造り、薭田神社を創建、後日蓮上人が開眼したと伝えられています。寛文の頃より栄林寺が別当寺となっていましたが、明治維新後分離、郷社に列格していました。

「大田区の神社」による薭田神社の由緒

延喜式内の古社、和銅2年(709)僧行基が天照、八幡、春日の三神体を造り本社に安置、後僧日蓮が村民の請を容れ改めて開眼したと伝えられる。
貞観6年(864)官社に列し従五位を賜り、明治5年10月郷社に定められた。(「大田区の神社」より)

大田区教育委員会掲示による薭田神社の由緒

度々の火災や水害で古い記録は残っていないが、旧社格は郷社で、貞観6年(864)延喜式内社に列し、従五位を賜ったといわれ、延喜式に「荏原郡薭田神社」とあるのが、当社であろう。
社伝によれば、和銅2年(709)僧行基が天照、八幡、春日の三神を創り、当社に安置し、後に僧日蓮が村民の請を容れ改めて開眼したといわれるが、明らかでない。
近来は、応神天皇をまつる八幡社で、隣接の栄林寺が別当寺であったが、明治初年の神仏分離により独立し、近くの小祠をいくるか境内に合祀した。(大田区教育委員会掲示より)

新編武蔵風土記稿による薭田神社の由緒

八幡社
除地2段1畝10歩。海道より西の方にあり。当社は「延喜式」神名帳に載せたる薭田の神社なりといふ。それも古記録の徴とすべきことあるにもあらず、又古くより人の口碑に傳へたりといふにもあらず、近き頃住せる別当寺の僧おもへり。神名帳に当郡薭田神社のことを載せたれど、後世たえて沙汰なし。兼て郡中を捜索するに、それと覚しき大社もなし。しかるに此社の前の地を古へより神戸と唱へ、神戸橋などいへる橋もあり。是は全く後の世にたてし八幡の社につきてともおもはれず、いかさま往古より神社のありし地なるへし。よりておもふに当社この薭田神社なるべけれとて、頓て神祇管領吉田家へ其ことを告て、判を請しに、吉田家にてもさもこそあらめとて薭田の号を許されしとぞ。是は「武蔵風土記」に薭田八幡の社をのせて、神戸巫戸などあるよし見ゆれば、かく云にや。それより此社を古への神社なりと云。されど又郡内三田町八幡社(御田八幡神社)、八幡塚村八幡社(六郷神社)、及ひ鶴の木村名主五郎左衛門が宅地にある祠等皆古の薭田神社なりといへり。
かくまちまちにしてことに明證もあらざれば、いづれをそれともさだめがたし。抑薭田神社のことは、「延喜式」神名帳に、武蔵国荏原郡薭田社とありて、小社のよしを注せり。又「武蔵風土記」に薭田八幡、圭田五十八束三字田、所祭応神天皇也、式内宿禰荒木田襲津彦等也、和銅2年己酉8月15日始行神体、有神戸巫戸等と見えたり。
然るに今当社の祭神は天照太神八幡春日の三座なり。いづれも木像にてその彫刻ははなはだ古質なり。太神は鉾を逆に杖つきて巌の上に立たまふ容なり。八幡は左の御手に弓をとりたまひ、右の御手にて御はかせの柄に手をかけたまへる立像なり。二体ともに長2尺7.8寸、試に佛師をして観せしめしに、刀痕はなはだあらし、とかくに鎌倉将軍家の時代より以上のものならんといへりしとぞ。春日の像は新宿分村の時わかちて彼村の鎮守とせりとぞ。
この社傳によれば、彼「風土記」にいへる祭神とおなしからざれば、それも疑なきにあらず。本社1間に1間半、拝殿2間半に2間。数歩をへだてて石鳥居をたつ。両柱の間2間、社地一叢の木立しげりて寂莫たり。側に小池あり。溝を設けて社地を廻らす。祭礼は年々正月15日。神楽を奏して祭る。当社古は神主金子某と云もの、社内をあづかりしに、故あって寛文の頃より栄林寺の持となれり。
寶物叟仮面一枚。龍頭一箇。鉾一本、右いづれも古物なれり。
末社。
稲荷社。本社より左の方にあり、棟札に天和3年正月9日とあり、わずかなる祠なり。
稲荷社。おなじならびにあり。
妙正明神社。同じならびにあり、祭神詳ならず。
稲荷社三ヶ所。いづれも小祠にて前の三祠とむかひてたてり。(新編武蔵風土記稿より)


薭田神社所蔵の文化財

  • 薭田神社の石鳥居(大田区指定文化財)
  • 薭田神社(大田区指定史跡)

薭田神社の石鳥居

当社は、延喜式内の古社といわれている。 この鳥居は、柱背面の銘文によって、寛政12年(1800)に北蒲田村の氏子により寄進されたことがわかる。
花崗岩の明神型鳥居で、高さ310cm、柱間314cm、中央に、薭田神社の社号を刻した石額を掲げてある。
笠木は、全体にゆるやかな反りをもって、柱とのつりあいもよく、安定した姿をみせる。
区内の鳥居では古いものの一つで、貴重な存在といえよう。(大田区教育委員会掲示より)

薭田神社の周辺図