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玉川弁財天と水神社|大田区羽田の神社

玉川弁財天と水神社の概要

玉川弁財天と水神社は、大田区羽田多摩川岸からほど近くにある神社です。宗教法人としては水神社が登録されていますが、玉川弁財天として著名です。玉川弁財天の創建年代は不詳ですが、古くより弁天社として祀られ、弘法大師が護摩の灰を固めて自ら制作した神体があり、龍王院が別当寺となっていたといい上の宮と称したといいます。一方要島(羽田空港の地)の新田開発に伴い、下の宮として弁天社が創建、祀られていました。昭和20年9月連合軍の強制立退命令により、下の宮(現玉川弁財天)を水神社のあった当地に遷し、現在に至るといいます。羽田七福いなりめぐりの一社です。

玉川弁財天と水神社
玉川弁財天と水神社の概要
社号 水神社
祭神 水波乃咩命
相殿 -
境内社 -
祭日 例祭日1月11日、5月11日
住所 大田区羽田6-13-8
備考 羽田七福いなりめぐりの一社



玉川弁財天の由緒

玉川弁財天の創建年代は不詳ですが、古くより弁天社として祀られ、弘法大師が護摩の灰を固めて自ら制作した神体があり、龍王院が別当寺となっていたといい上の宮と称したといいます。一方要島(羽田空港の地)の新田開発に伴い、下の宮として弁天社が創建、祀られていました。昭和20年9月連合軍の強制立退命令により、下の宮(現玉川弁財天)を水神社のあった当地に遷し、現在に至るといいます。

境内掲示による玉川弁財天の由緒

玉川羽田弁財天
茲に祀られて居る弁財天は御大四寸八分「天長7年(830)空海作」と銘刻があり弘法大師が護摩の灰を固めて御自刻されたものと伝えられて居る。この弁財天は広島県厳島神社、神奈川県江の島弁財天と共に日本三弁天と言われて居り往古より変らぬ信仰を今に伝えて居り祭礼は正月、五月の十日に行われる。龍王院(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による玉川弁財天の由緒

弁天社
東町の内要島にあり。其所を鷹取ともいへり。山を金生と称す。社は3間四方南向なり。神体は如意宝珠にて海中より出現せり。此如意宝珠は昔上の宮にありしを、後此処に寓居をたててあがめ祭りしより、ここをば下の宮と呼り。上の宮と称するものは、此所より遥に隔りて別当龍王院の境内にあり。此神体の事は上の宮におさむる、縁起にのす。其の條について見るべし。又前立に弁天の像あり。木の座像にて長2尺許、脇に十五童子たてり。是は尤近き頃のものなり。境内に鳥居2基たてり。1は柱間2間にて西向なり。前に多摩川の流を掘入、小橋をわたせり。1は柱間7尺同じ向なり。昔は此より南の方へさして60間あまりの大門道あり。其半に石の鳥居ありしが、年々霖雨の頃河のほとり凡60・70間かほど欠入しかば、今は其鳥居も立へき地なければ、其儘河のほとりに横たはれり。何の頃か海岸を石にたてたたみしかば、今は川欠の患もなしと云。祭礼は正月五月九月十四日に行へり。
末社。
宇賀神社。本社の南にあり。わづかなる祠なり。廻りに駒よせたてり。神体は木の宝珠の中に宇賀神の木像を安ぜり。
白山社。小祠本社の西にあり。鳥居もたてり。
高燈籠。社の巽の方にあり。此燈籠へ火を點するといへり。近き頃は僅かにかたばかり残れり。(新編武蔵風土記稿より)


玉川弁財天と水神社の周辺図


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