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田園調布八幡神社|大田区田園調布の神社

田園調布八幡神社の概要

田園調布八幡神社は、大田区田園調布にある八幡神社です。田園調布八幡神社の創建年代は不詳ですが、鎌倉時代の建長年間(1249-1256)ともいわれます。天正18年(1550)小田原北条氏滅亡の後、八王子城主北条氏照の家臣落合某が当地に移住、その孫左衛門が、八幡大菩薩をまつり社殿を創建、上沼部村(当地)の鎮守となっていました。

田園調布八幡神社
田園調布八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 誉田別命
相殿 -
境内社 稲荷社
祭日 例祭日10月15日
住所 大田区田園調布5-30-16
備考 -



田園調布八幡神社の由緒

田園調布八幡神社の創建年代は不詳ですが、鎌倉時代の建長年間(1249-1256)ともいわれます。天正18年(1550)小田原北条氏滅亡の後、八王子城主北条氏照の家臣落合某が当地に移住、その孫左衛門が、八幡大菩薩をまつり社殿を創建、上沼部村(当地)の鎮守となっていました。

「大田区の神社」による田園調布八幡神社の由緒

創建年月不詳なるも、天正18年(1550)小田原北条氏滅亡の後、八王子城主北条氏照の臣、落合某、この地に庵を結び、主家の冥福を祈ると伝う。その孫、左衛門、八幡大菩薩をまつり社殿を創建し氏神とする。寛政4年(1792)神谷縫之助の所領となり、氏神として信仰する。(「大田区の神社」より)

新編武蔵風土記稿による田園調布八幡神社の由緒

(上沼部村)八幡社
除地5段畝、村の中央にあり。上屋2間四面、中に宮作りの祠を置。坤の方に向へり。神体は束幣にて馬上にのり弓筒を幣せし像なり。長6寸あまり。尤新作にて古像にあらず。此村の鎮守なり。毎年9月14日祭礼なり。隣村(下沼部村)東光院の持
石華表。幅6尺、鳥居の外に石階あり。6級、7級、又鳥居の内にも6級あり。
末社。稲荷社。本社の左にある小祠なり。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による田園調布八幡神社の由緒

田園調布八幡神社の創建は鎌倉時代の建長年間(1249-1256)と伝えられる。この時代、鎌倉幕府は執権の北条氏が実権を握り、国内基盤固めを行っていた。各地で武士達はもとより村人達も幕府に忠誠を尽くす意味もあり、源氏の氏神を祀る八幡信仰が盛んで、多くの八幡神社が建てられた。
当時、この村の西側、現在の雙葉学園南側の盆地は篭谷戸(ろうやと)と呼ばれる入江で、多摩川の水が滔々と打ち寄せる自然の良港であり、物資を積んだ舟が盛んに出入りしていた。また、この村の高台部分には東より西へ貫いて鎌倉街道が通り、篭谷戸の港に接続していた。港を中心としてこの一体には多くの鎌倉武士が駐屯し、鎌倉海道の要衝の地となっていた。そして、この八幡神社の地は港の入口に突き出した台地で、舟の出入りを監視できる重要な場所であった。鎌倉武士はその重要な場所に祠を建て、八幡神社を勧請した。以来、この八幡神社の地は聖地となり、人々に崇められてきた。
天正18年(1590)小田原北条氏滅亡後、八王子城主、北条氏照の旧臣、落合某がこの村に庵を結び、主家の冥福を祈った。そして、寛永年間(1624-1644)落合某の孫、落合弥左衛門らによりこの聖地に新たな社殿が創建され、ご神体が祀られた。
江戸時代、この神社は武蔵国荏原郡世田谷領上沼部村に属し、明治中期の四村合併まで村社であった。寛政4年(1792)には、この村の知行主となった神谷縫之助も氏神とするなど、今日まで常にこの地域の人々の心の拠り所として崇敬されて来たのである。(境内掲示より)


田園調布八幡神社の周辺図


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