本照寺|練馬区西大泉にある日蓮宗の寺院
本照寺の概要
日蓮宗の本照寺は、了光山と称します。日勇上人が天正10年(1582)に創建したといいます。明治時代には、小榑村(現、大泉)の役場として使われたこともありました。
| 山号 | 了光山 |
|---|---|
| 院号 | - |
| 寺号 | 本照寺 |
| 住所 | 練馬区西大泉3-11-3 |
| 宗派 | 日蓮宗 |
| 葬儀・墓地 | - |
| 備考 | - |
本照寺の縁起
本照寺は、日勇上人の開山、天正10年(1582)創建と伝えられ、もと妙福寺塔頭です。明治時代には、小榑村(現、大泉)の役場として使われたこともあったといいます。
練馬区教育委員会掲示による本照寺の縁起
本照寺は山号を了光山といい、日蓮宗のお寺で、本尊は久遠の釈迦牟尼仏です。
当時は、了光山といい日蓮宗の寺です。
本山は身延山久遠寺(旧中山法華経寺)で、昔から中山法華経寺の隠居寺といわれていますが、現住職の境野姓は、本寺の系図によると、田安家城代家老境野某より出ているといわれます。江戸末期から昭和初期にかけて武士の転籍が多く、当寺もその一例であると思われます。
寺伝によると開基は、天正10年(1582)としており、本堂改築の際に、主柱の下から発見された板碑は、天正10年のもので、開基月日と近いところから、創建と何らかの関係があるのではないかといわれています。
この板碑は、「日蓮題目板碑」といわれており、練馬区内の出土板碑の中では最も新しいものの一つです。
なお、境内墓地には、慶安、萬冶、元禄などの記銘の古い墓石が数多くみられます。
また、本堂は小榑村(いまの大泉)の役場として使われたこともありました。
初冬には、多くの万灯行列がくりだされて大変なにぎわいとなります。
練馬の寺院による本照寺の縁起
「新編武蔵風土記稿」に「本照寺、境内8畝9歩小名中島ニアリ。本堂5間27間半。了光山ト号ス。開山日勇上人。文禄2年3月20日寂セリ」と記されている。
当寺は昔から中山の隠居寺といわれるが、現住職の境野姓は、本寺の系図によると。田安家城代家老境野某より出ているといわれる。江戸末期からは武士の転籍が多く、当寺もその一例であろう。
寺伝によると、開基は天正10年(1582)としており、本堂改築の際に、主柱の下から発見された板碑は、天正10年のもので、開基年月日に近いことから、創建と何らかの関係があるのではないかといわれている。
この板碑は、「日蓮題目板碑」といわれているが、練馬区内の出土板碑の中では、板碑が消滅して行く過程で見ると、新しいものの一つである。
なお境内には、慶安(1648-52)、万冶(1658-61)、元禄(1688-1704)などの記銘の古い墓石が数多く見られる。
本照寺の周辺図
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本照寺参道
本照寺山門