大乗院|練馬区西大泉にある日蓮宗寺院

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新井山大乗院|西中山妙福寺の末寺頭

大乗院の概要

日蓮宗寺院の大乗院は、新井山円福寺と称します。日讃上人(永徳2年1382年没)により創建されたと伝えられます。江戸時代には、西中山妙福寺の末寺頭で、関宿藩久世大和守の祈願所ともなっていました。

大乗院
大乗院の概要
山号 新井山
院号 大乗院
寺号 円福寺
住所 練馬区西大泉5-17-5
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



大乗院の縁起

大乗院は、日讃上人(永徳2年1382年没)により創建されたと伝えられます。江戸時代には、西中山妙福寺の末寺頭で、関宿藩久世大和守の祈願所ともなっていました。

練馬区教育委員会掲示による大乗院の縁起

大乗院は、日蓮宗のお寺で、山号を新井山といい、寺号は円福寺です。これは、昔この地を小榑村荒井といったことに由来するものと思われます。
開山日讃上人は永徳2年(1382)に遷化され、また永享・享徳(1429~1455)年号の板碑が出土していることから、開創以来600年のの古刹であることがわかります。
記録によりますと、四万八千石関宿藩主久世大和守の祈願所として、格式の高いお寺であったといいます。
明治40年、火災により本堂・庫裡などが灰燼に帰しましたが、山門は宝暦2年(1752)の建立で、火災を免れた唯一の建物です。現在の本堂は昭和53年に新築されました。
帝釈堂には柴又帝釈天題経寺の帝釈天の御分身である帝釈天王像が祀られており、庚申の日には信者の人びとによって帝釈天例祭が行なわれています。(練馬区教育委員会掲示より)

「練馬の寺院」による大乗院の縁起

新編武蔵風土記稿の妙福寺の項に「妙福寺……塔頭 大乗院 新井山円福寺ト云。村ノ西二アリ。」とあるように、今から約二百年前には、円福寺と称していた。大乗院という名称は、当寺十三世大乗院日進上人の院号によったものと思われる。過去帳によると、法種山地末役僧席武州新座郡野方領広沢庄小榑村、新井山円福寺大宣坊跡大乗院と記載されている。開山大宣院日讃上人は永徳2年(1382)に死去されているので、開創以来六百年以上を経た古利である。
当山の所在地は、昔の字で荒井といわれ、西中山妙福寺の末寺頭として、また久世大和守の祈願所として、かなり格式の高い寺であった。
境内には、帝釈天を祀る堂字があり、庚申の目には、盛大な講が行われている。帝釈天像は、柴又帝釈天の分身である。その他、鬼子母神信仰の神力講 (毎月八日)・護持会活動の十二日講もあり、信者の尊崇を得ている。また古老の話によると、明治の中頃には、山門、本堂のほかに祖師堂、七面堂などがあったといわれる。現在の山門は宝暦2年(1752)の建立で明治40年(1907)の火災をまぬがれた唯一の建物である。(「練馬の寺院」より)


大乗院の周辺図

参考資料

  • 練馬の寺院(練馬区教育委員会)