法融寺|練馬区関町東にある真宗大谷派の寺院
法融寺の概要
真宗大谷派の法融寺は、信願山と号し、正保2年(1645)江戸本町に創建しました。明暦3年(1657)の振袖火事で全焼し、東本願寺(旧通称東京本願寺)境内に移転、大正12年の関東大震災で再度全焼し、当地にあった真宗大谷派信願寺と合併して、当地へ移転しました。
| 山号 | 信願山 |
|---|---|
| 院号 | - |
| 寺号 | 法融寺 |
| 住所 | 練馬区関町東1-4-6 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 宗派 | 真宗大谷派 |
| 葬儀・墓地 | - |
| 備考 | - |
法融寺の縁起
法融寺は、、正保2年(1645)江戸本町に創建しました。明暦3年(1657)の振袖火事で全焼し、東本願寺(旧通称東京本願寺)境内に移転、大正12年の関東大震災で再度全焼し、当地にあった真宗大谷派信願寺と合併して、当地へ移転しました。
法融寺は山号を信願山といい、真宗大谷派(本山・京都東本願寺)のお寺です。本尊は阿弥陀如来です。開基・釋玄正は旗本・近藤政信の三男でしたが、東本願寺13世宣如上人により得度し、正保2年(1645)江戸本町に当寺を創建しました。しかし12年後の明暦3年(1657)有名な振袖火事で全焼し、幕府の命令によって東本願寺(旧通称東京本願寺)境内に移されました。江戸の地誌類に東本願寺塔頭法融寺とあります。
その後、大正12年の関東大震災後、再建されましたが、昭和20年3月の東京大空襲で再び全焼しました。
戦後、当地にありました信願寺(真宗大谷派)と合併、旧山号蘆遮那山を信願山と改め、現在地に移りました。
墓地には江戸の戯作者・桜田治助と、書家で歌人の会津八一の墓があります。境内本堂向かって左手奥に会津八位置の歌、
むさしのの くさにとはしる むらさめの いやしくしくに くるるあきかな
の歌碑があります。(練馬区教育委員会掲示より)
法融寺の周辺図
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法融寺本堂