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下石神井御嶽神社|練馬区下石神井の神社

下石神井御嶽神社の概要

下石神井御嶽神社は、練馬区下石神井にある御嶽神社です。御嶽神社の創建年代は不詳ですが、木曽御嶽講に入った当地の石塚平左衛門が天保年間頃(1830〜)に創建したのではないかといいます。

下石神井御嶽神社
下石神井御嶽神社の概要
社号 御嶽神社
祭神 国常立命・大己貴命・少彦名命、國狭槌尊、豊斟渟尊、一山霊神
相殿 -
境内社 一山神社、稲荷神社
祭日 例祭日12月冬至日
住所 練馬区下石神井4-34-9
備考 -



下石神井御嶽神社の由緒

御嶽神社の創建年代は不詳ですが、木曽御嶽講に入った当地の石塚平左衛門が天保年間頃(1830〜)に創建したのではないかといいます。

「練馬の神社」による下石神井御嶽神社の由緒

創立年代は不詳だが文化・文政年間(一八〇四-三〇)と推定される。その頃木曽御嶽講に入った石塚平左衛門〔天保六年(一八三五)歿〕が分霊を祀ったのが始まりと言われる。その後先達を務めた石塚忠明(天保一四年~大正一〇年)は、大正二年(一九一三)東京一山講社を組織し、御嶽登山五〇余回、講員は千八百余名に達した。中座の地位を与えられ一山忠明教会を創立した。
境内石造物はすべて明治以後のもの。明治一九年(一八八六)の一山霊神三十七年祭碑が最も古い。社殿は明治三九年(一九〇六)に本殿新築と拝殿の修補を行い(本殿基礎台石)、社殿改築は大正七~九年(一九一八~二〇)、大震災後の社殿再建は大正一三年(一九二四)に施工している(拝殿の額)。なお本殿建築の棟梁本橋治郎右衛門は、後に明光治輝霊神とされている。社殿の随所に十六弁菊花紋が使用されているが、その由緒は不明である。御嶽神社燈籠奉納記念碑(明治三八年)、土留石奉納記念碑(明治三九年)、御嶽神社奉納金壱百円也碑(明治四四年)、御大典境内地拡張之碑(大正四年)、社殿改築記念碑(大正九年)、鳥居建設記念碑(大正一三年)、金弐百円奉納碑(大正一四年)のほかに御嶽大神一心・覚明・普寛・一山霊神(明治三〇年)、明光治輝霊神(大正三年)、一山忠明霊神四十年祭(昭和三三年)の碑がある。社殿脇に御嶽山に見たてた築山があり、祭神の三体の石像が立っている。
例祭には、戦前まで火渡りの行事が行われていた。
境内樹木はケヤキ、スダジィ、シラカシ、ムクロジが太幹である。(「練馬の神社」より)

練馬区教育委員会掲示による下石神井御嶽神社の由緒

下石神井の御嶽神社は、天保頃(一八三〇〜)当地の石塚平左衛門によって創建されたと伝えられます。そのころ江戸を中心に行者一山の布教で木曽御嶽山への信仰が広まっていました。当地はその御嶽山の分霊を祀ったのが始まりといわれます。祭神は国常立命・大巳貴命・少名彦命の三神です。
その後、石塚忠明によって一山講社が組織され、逐次、講の拡大がはかられ、誠時には一八〇〇名の講員がありました。御嶽神社と並んで一山神社が祀られています。祭神は講祖一山霊神です。
本殿は明治三十年、拝殿は大正十一年の建築になるものです。神紋は一山系笠印の富士に丸三紋と、十六弁菊花紋です。
御嶽神社と一山神社の間に岩を積んだ小丘があり、三体の石の祭神像が祀られています。そのほか各種霊神碑や中興の先達一山・忠明の顕彰碑などがあります。境内には数多くの欅や銀杏の大樹が茂り、四季を通じて訪れる人びとに静かなやすらぎと、うるおいを与えてくれます。(練馬区教育委員会掲示より)


下石神井御嶽神社所蔵の文化財

  • 二十三夜待供養塔(練馬区登録文化財)

練馬区教育委員会掲示による下石神井御嶽神社の由緒

地蔵と庚申塔の隣に立てられている角柱形の石造物です。正面に勢至菩薩と「廿三夜待供養 文化十三丙子年(一八一六)二月吉日建之」、右側面に「武州豊嶋郡石神井村」、台石には造立者名などが記されています。二十三夜待は月を拝み飲食を共にする月待ち行事です。区内でも二十三夜待が行われていたことをこの石造物は伝えています。(練馬区教育委員会掲示より)

下石神井御嶽神社の周辺図


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参考資料
  • 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)



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