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土支田八幡宮|練馬区土支田の神社

土支田八幡宮の概要

土支田八幡宮は、練馬区土支田にある八幡宮です。土支田八幡宮の草創については不詳ながら、建久3年 (1192)の創建と伝えられるといいます。土支田村(字俵久保)内にあった八幡社・神明社・稲荷社を明治7年合祀、北野神社と称していたといい、「俵久保の天神さま」と呼ばれていたといいます。昭和22年主祭神を誉田別尊に改め、土支田八幡宮と改称したといいます。

土支田八幡宮
土支田八幡宮の概要
社号 土支田八幡宮
祭神 誉田別尊
相殿 菅原道真公・天照皇大神
境内社 稲荷社、八雲神社、御嶽神社、祓戸社
祭日 例大祭10月3日
住所 練馬区土支田4-28-1
備考 -



土支田八幡宮の由緒

土支田八幡宮の草創については不詳ながら、建久3年 (1192)の創建と伝えられるといいます。土支田村(字俵久保)内にあった八幡社・神明社・稲荷社を明治7年合祀、北野神社と称していたといい、「俵久保の天神さま」と呼ばれていたといいます。昭和22年主祭神を誉田別尊に改め、土支田八幡宮と改称したといいます。

「練馬の神社」による土支田八幡宮の由緒

社伝によれば建久三年 (一一九二) の創祀という。「享和四年 土支田村 村方之儀明細書上帳下書」 には別当を万福寺として、八幡宮、神明社、天神社、稲荷社の順で載っている。明治七年(一八七四)、この中の三社(天神社、八幡宮、神明社)を合祀して北野神社と称した。土地の人々は俵久保の天神さまと呼んだ。しかし昭和二二年 (一九四七) 三月、祭神を菅原道真命から誉田別尊に遷して、社名を土支田八幡宮と改めた。
境内石造物で古いのは、明治四二年 (一九〇九) の幟石であり、鳥居、燈籠、水盤は昭和七年 (一九三二) のものである。官有林払下げと社殿改築を示す昭和七年二月の記念碑もある。なえお境内社前には文化一三年(一八一六) の燈籠がある。その他、御嶽山大々紀念碑(明治四四年、下土支田講)、日清・日露戦役の表忠碑(昭和七年)、土支田土地改良白子川改修記念碑 (昭和三七年)、太平洋戦碑(昭和四三年)、明治百年長寿記念碑 (昭和四三年) がある。額殿には江戸の書家、三井親和の扁額のほか、武者絵馬など数点が保存されている。なお、参道口には南極井戸がある (当社の島義武元宮司が明治四四年、白瀬中尉の南極探検隊に事務長として加わり南極から持ち帰った氷を納めた)。
土支田八幡宮の半鐘 (非公開) は、総高五八cm・口径三四cmで、延享三年 (一七四六) 作、天保一五年 (一八四四) 改造である。「八幡山万福寺」「粉川市正作」の陰刻から、廃寺となった万福寺の遺品、江戸の鋳物師粉川屋の作であることが分る。
境内樹木数は、練馬の神社の中では最も多い部類に入るであろう。(「練馬の神社」より)

練馬区教育委員会掲示による土支田八幡宮の由緒

社の詳しい創建年代は不明であるが、鎌倉時代末と伝えられる。
「土支田村下組明細書上帳」など、江戸時代の古文書には、八幡社他三社の記載があり、明治時代になって合祀し、「北野神社」と称した。土地の人々からは字名で「俵久保の天神様」と呼ばれ親しまれていた。
主神は誉田別命、相殿神に菅原道真命、天照皇大神を祀っている。戦後、現在の社名に改称する以前は主神に菅原道真命を祀っていた。境内社には稲荷社、八雲神社、御嶽神社、祓戸社がある。
本社には江戸時代の書家、三井親和筆の社号扁額のほか、文化元年(一八〇四)銘、粉川市正作の半鐘(区登録文化財)などが保存されている。また境内には大六天などの貴重な石造物がある。
拝殿右手には、建武の親政の時偉功のあった新田義貞の家臣、篠塚伊賀守時成が戦勝祈願して植えたと伝えられる「伊賀の松」の切り株が往時の名残を留めている。(練馬区教育委員会掲示より)


土支田八幡宮所蔵の文化財

  • 土支田八幡宮の半鐘(練馬区登録文化財)
  • 土支田八幡宮の社叢(練馬区登録文化財)

土支田八幡宮の社叢

社殿の周囲に植栽されたスギ、ヒノキを主な樹種とする森です。
区内神社の社叢としては比較的広く、高木が多いことが特徴です。(練馬区教育委員会掲示より)

土支田八幡宮の周辺図

参考資料
  • 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)



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