福寿院|中野区本町にある真言宗豊山派の寺院、中野長者の伝承
福寿院の概要
真言宗豊山派の福寿院は、南光山と号します。創建年代は不詳ですが、僧寛宥(享保11年1726年寂)が真言宗に改めたとされています。
| 山号 | 南光山 |
|---|---|
| 院号 | 福寿院 |
| 寺号 | - |
| 住所 | 中野区本町3-12-9 |
| 宗派 | 真言宗豊山派 |
| 葬儀・墓地 | 福寿院西光殿で宗旨宗派を問わず葬儀可能 |
| 備考 | - |
福寿院の縁起
福寿院の創建年代は不詳ですが、僧寛宥(享保11年1726年寂)が真言宗に改めたとされています。
新編武蔵風土記稿による福寿院の縁起
福寿院
除地、120坪。村の北寄にあり。南光山と号す。新義真言宗にて中野村宝仙寺末。客殿7間に5間南向。本尊薬師の坐像長1尺5寸、此本尊は霊佛にて寄附の田畑あり。何人の寄附せしにや、其姓名を失へり。堂の背後に堂山といふ所あり。此薬師に附せし山なりと云。その傍に薬師堂村とて民家十二三軒あり。ここの田畑も此薬師によせしものなりと云へり。開山詳ならず。法流開祖は寛宥と云。享保11年6月朔日示寂。(新編武蔵風土記稿より)
福寿院所蔵の文化財
- 板碑
板碑
板碑とは、秩父産の青石でつくられた供養塔で、鎌倉~室町時代に数多くつくられました。板碑の存在は、その周辺にこの時代の集落があったことを物語ります。このことから福寿院のまわりは、中野を形づくった集落があったことがうかがわれます。
福寿院の周辺図
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福寿院山門
福寿院西光殿