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須賀稲荷神社|中野区江原町の神社

須賀稲荷神社の概要

須賀稲荷神社は中野区江原町にある神社です。当地近くの江原町3丁目17番地には、古くより牛頭天王と宇迦之御魂神の2祠があったといい、昭和40年代に入り2祠を合祀、当地へ移転の上、昭和42年に須賀稲荷神社として創立したといいます。

須賀稲荷神社
須賀稲荷神社の概要
社号 須賀稲荷神社
祭神 素戔嗚尊、宇迦之御魂神
相殿 -
境内社 -
住所 中野区江原町1-44-2
祭日 例祭日2月初午
備考 -



須賀稲荷神社の由緒

当地近くの江原町3丁目17番地には、古くより牛頭天王と宇迦之御魂神の2祠があったといい、昭和40年代に入り2祠を合祀、当地へ移転の上、昭和42年に須賀稲荷神社として創立したといいます。

境内由緒書による須賀稲荷神社の由緒

はるか昔から、中野区江原町3丁目17番地(現・こぐま公園のある所)に二つの小さな祠があり、それぞれ牛頭天王(ゴズテンノウ)と宇迦之御魂神(ウガノミタマノカミ)が祀られておりました。
その祠の西側では清水がこんこんと湧きでて、細い流れをなしていたことから、土地の人々が五穀の豊穣と疫病除けを祈願して祠を祀ったものだと伝えられています。悪疫の流行を防ぐ神として「じゅくじゅく天王様」と庶民から親しまれ、多くの信仰を集めてきました。
牛頭天王は悪疫を防ぐ神の素戔嗚尊(スサノオノミコト)と同一され、また社名の「須賀」とは、天照大神の弟である素戔嗚尊が出雲の国の斐伊川の上流でヤマタノオロチを退治した時に「吾れ此の地に来たりて心須賀、須賀し」と述べ、宮居を創立したという故事にもどつき名づけられた名称です。
「宇迦之御魂」は稲魂(イナダマ)の意で、「稲荷」の語源である稲成(イネナリ)、つまり、稲の育つ様を言い表した言葉から来たとされています。
江原町は昭和30年代になって、人口増と東京オリンピック開催を契機に道路整備が進捗し、目白通りの交通量が激増し、天王様の境内での祭礼、町の諸行事の開催は危険な為、困惑しておりました。
地元有志の努力により現在地に二神を合祀して移転し、昭和42年2月13日に宗教法人須賀稲荷神社を創立、昭和47年1月に諸建物の建設を起工、同年6月25日に神社、社務所(公民館併設)、神楽殿が完成しました。その後江原町公民館運営委員会や町会、若睦が管理運営を行ってきましたが平成17年5月29日「須賀稲荷神社氏子会」が発足され現在に至っています。(境内由緒書より)

新編武蔵風土記稿による須賀稲荷神社の由緒

(江古田村)第六天社
除地、四畝、本村にあり、社は三尺四方、右の四社ともに村内東福寺の持(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による須賀稲荷神社の由緒

当社は文明九年(一四七七)太田道灌が、石神井・練馬両城を攻め、江古田原において合戦するにあたり、当社を崇敬し戦勝を祈願したという。昔、江古田相原の衆落の守護神として、武徳優れ悪疫流行を防ぐ神として素盞鳴尊と、五穀豊穣農業繁栄の神として宇迦之御魂命を祀り、原の人びとの崇敬厚き神社で、天正十九年(一五九一)検地のさい、社地六畝七歩除地となり、社殿は明治十三年九月改築した。(東京都神社名鑑より)


須賀稲荷神社の周辺図


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