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曹渓寺|港区南麻布にある臨済宗妙心寺派寺院

曹渓寺の概要

臨済宗妙心寺派寺院の曹渓寺は、日東山と号します。曹渓寺は、酒井雅楽頭忠世の室で榊原式部少輔康政の息女(聖興寺殿梅月慈光大姉)が開基、勅諡圓覺大鑑禅師絶江和尚が元和9年(1623)麻布今井に開山、承応2年(1653)当地へ移転したといいます。江戸時代には、赤穂浪士の一人寺坂吉右衛門信行が当寺に寄寓していたという他、明治23年には麻布獣医学園麻布大学の前身が当寺境内で設立されたといいます。

曹渓寺
曹渓寺の概要
山号 日東山
院号 -
寺号 曹渓寺
住所 港区南麻布2-9-22
宗派 臨済宗妙心寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



曹渓寺の縁起

曹渓寺は、酒井雅楽頭忠世の室で榊原式部少輔康政の息女(聖興寺殿梅月慈光大姉)が開基、勅諡圓覺大鑑禅師絶江和尚が元和9年(1623)麻布今井に開山、承応2年(1653)当地へ移転したといいます。江戸時代には、赤穂浪士の一人寺坂吉右衛門が当寺に寄寓していたという他、明治23年には麻布獣医学園麻布大学の前身が当寺境内で設立されたといいます。

「麻布區史」による曹渓寺の縁起

日東山曹渓寺 本村町二〇六
本尊釋迦、妙心寺末。元和九年三月今井村に創立され、承應二年現在の地に移つた。開山は絶江和尚(諱紹隄生國日向、寛文三年九月三日寂、嘉永五年十月二十四日勅諡圓覺大鑑禅師を賜はる)である。今寺の附近を絶江と呼ぶのは、此の和尚の名に因むだのである。開基は酒井雅楽頭忠世の室で榊原式部少輔康政の女なる聖興寺殿梅月慈光大姉(承應元年十月二十日卒)であると云ふ。
藤森天山と寺坂吉右衛門の墓がある。吉右衛門は晩年當寺に寄寓し延享四年十月六日年八十三を以て歿した。墓石には節岩了貞信士とあり、傍に「寺坂信行碑銘」と刻した碑と妻(田尻あき、淑寶知秋信女、延享元年九月十三日死、年七十二)の墓がある。(「麻布區史」より)

東京名所図会による曹渓寺の縁起

曹渓寺
曹渓寺は、麻布本村町二百六番地にあり、日東山と號す、妙心寺派の禅刹なり。
江戸砂子に云、日東山曹渓寺、妙心寺末、寺中、慈眼菴、碧蘆軒。
本堂の側に、老松一株を栽う翠蓋重々、清陰百歩の地に布く。境内に一宇あり半僧坊大権現を安置す、又麻布區代用慈音尋常小學校あり、もと貧民教育の旨意を以て之を創立し、簡易の學科を授け来りしが、小學令の達せらるるに及び、現今の組織に改めたりといふ。中庭に良梁先生及び其巨碑あり。
藤森弘菴の墓。
「天山藤森先生墓表」と題したる自然石の碑にして、故文學博士川田剛氏の撰文あり。(碑文略)
寺坂吉右衛門の墓。
赤穂義士の一人、寺坂吉右衛門の墓なり。吉良邸討入の後、吉右衛門は、復讐の顛末を浅野家の遺族へ注進の為め、飛脚に立ちしかば、御預けの身とならざりしも、程なく一同處刑の由傳へ聞きて、復び江戸に来り、町奉行所へ所自訴しけるに、既に刑後なり、且軽身なるを以て、官、死刑を除かる。吉右衛門は本意ならずも、聊かの俗縁を頼みて、當寺に寄寓し。命を終はりしとなむ。「寺坂信行逸事之碑」と題したる墓表一基あり。内田叔明撰文。(東京名所図会より)


曹渓寺所蔵の文化財

  • 学校法人麻布獣医学園発祥の地

学校法人麻布獣医学園発祥の地

学校法人麻布獣医学園麻布大学の前身は、明治二十三年(1890年)九月十日、東京獣医講習所として、帝国大学農科大学助教授輿倉東隆によって開設されました。東京市麻布区本村町二〇四(日東山曹渓寺境内)にできた私立慈育小学校の一部を借りて校舎とし、全国から選抜推薦された獣医師に六ヶ月間、解剖、生理、薬物、内科、外科、装蹄、病院実習、装蹄実習を教授しました。
明治二十七年(1894年)一月に麻布獣医学校と改称し、同二十八年(1895年)十月には、輿倉東隆がすでに開設していた東京家畜病院がある麻布区新堀町に校舎を新築移転しました。その後、明治四十五年(1912年)三月に、麻布獣医畜産学校、昭和九年(1934年)四月麻布獣医専門学校、同十九年(1944年)十二月に麻布獣医畜産専門学校と改称しました。
昭和二十年(1945年)五月、戦災により学園諸施設を消失したため、神奈川県相模原市に移転し、同二十五年(1950年)に校名を麻布獣医科大学として開学し、昭和五十五年(1980年)麻布大学と改称し、現在に至っています。(港区教育委員会掲示より)

曹渓寺の周辺図




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